「あなたは何人ですか?」

1988年以来、もう30年近くイタリアにいて、イタリア国籍も取り、日本国籍を失ってしまった。それで、時々人から「自分は何国人だと思っていますか」というような質問を受ける。それに対しては、「半々だと思っています」とか、「どうも何人ともいえないような気がします」とか、「場合によります」とか、あいまいな答えしかできないのだが、本当にそれは場合によるのである。

日本で生まれて育ち、29歳の時まで日本で大人として暮らした時期があったわけだから、自分が確立する前に10代で日本を離れてしまったような人とは、決定的にちがう。私という存在を定義するなら、「日本人として育ち、教育を受けた」という事実は一生私の人格の中心であり続けるだろう。その「日本人性」は、倫理観とか、感情などにあらわれるのだけれど、そのことは、またいつか書くことにする。

ところが、帰属意識ということになると、どうも自分が日本という国に属しているとは思えない。どちらかというと、自分はイタリア人というグループに属しているという気がする。それを最初に感じたのは、今でも鮮明に憶えているが、「ドュイスブルクの惨劇」と呼ばれる事件が起きた時だった。これは2007年8月、ドイツのドュイスブルクという町のイタリアレストランで、レストランの経営者以下、六人のイタリア人が殺された事件である。原因は、ンドランゲタ(カラブリア地方系マフィアはこう呼ばれる)の内部抗争だが、ニュースを聞いた時まず最初に思ったのは、「なにもドイツで殺さなくても、イタリアでやればいいのに、恥ずかしい」であった。

思った瞬間、「恥ずかしい」と思ったことに、自分でびっくりした。いつから自分は、ドイツ人がイタリア人をどう思うかなど、気にするようになったのだろう。その時始めて気付いたのだが、かなり以前から、海外での日本人のいろいろと滑稽なふるまいを、「恥ずかしい」と思わず、純粋に「面白い」、「興味深い」、と思って眺められるようになっていた。

イタリアに長くいる日本人でも、仕事の上での接触の相手が主に日本人だったり、あるいは日本を主なマーケットとして仕事していたりすれば、自分が日本人であるという自覚は保てるのではないかと思う。ところが私の場合は、今の会社で、イタリア人の上司や同僚と、イタリアのマーケットを相手に自社製品のアフターサービスの分野で働いていた期間が長かった。そういう仕事をしていると、自分が何人であるとか、同僚が何人であるなどと気にしている暇はない。協力して仕事の目的が達成できればそれでよいのである。そうやって長い間「何人」ということを考えずに働いているうちに、自分が元は日本人であったことを忘れてしまった、と言えばいいのだろうか。

でもそうして日本人だったことを忘れて暮らせるということは、実は私の周りの人々が、私が何人であろうと気にしていないからである。イタリア人は、「何人」とか、学歴とか、職業とか、そういうレッテルで人を見ない。その人そのものを見る。これは、イタリア人の最大の長所のひとつではないかと思う。

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