「あなたは何語で考えていますか?」

土曜日に迂闊屋さんにこのブログを紹介して頂いた。まだ始めたばかりで、更新のたびに四苦八苦しているのに紹介して頂いて恐縮している。ブログを始めた動機が、後で書くように、「日本語を書く練習」というのだから、そんなものを他人に読んで頂いていいのかと思うが、誰も読んでくれる人がいないと続かないし、文章がいいかげんになるので、読んで下さる方への感謝の気持ちを持ちつつ、書き続けていきたいと思う。

この間書いた、「あなたは何国人だと思っていますか」という質問によく似ているが、もっと頻繁に尋ねられるのが、「あなたは何語で考えていますか」という質問である。たぶん、こちらの質問のほうは、私の内面の信条に立ち入らずに、単に「この人の脳はどうなってるの?」という科学的好奇心から気軽に尋ねられるのであろう。答えもわりあいはっきりしていて、「考える内容によって、その情報がインプットされたときの言語で考えています」というのが、標準的な答えである。

たとえば、日本にいた時は運転免許をもっていなかったし、実家にも車がなかったから、運転はミラノで教習所に通って一から習ったのだが、そのせいで、運転する時は完全にイタリア語で考えている。日本語で考えようにも、日本語で何と言うのか知らないので、考えようがない。

それから、イタリアに来てから現れたすべてのテクノロジー、つまり携帯電話、インターネット、それどころかパソコンそのものの使用法にいたるまで、すべてイタリア語で覚えたのだから、そういうものを使う時には基本的にイタリア語で考えている。日本を出たのは、ようやくCDというものができて、将来はLPレコードに取って代わるか、と言われていた時代であった。個人でコンピューターを所有している人は極めてまれであった。

イタリアに来てかなりの間、日本人に会って日本語を話すのは多くても月一回、日本語を読むのは実家から古新聞・古雑誌を送ってもらった時だけ、という生活をしていた。インターネットが出来てからもそうとう長い間、こちらのコンピューター、つまりイタリア語OSの入ったコンピューターでは、「文字化け」のため、日本語は読めなかった。

すべての情報がイタリア語か英語で入ってくるから、考えるのも必然的にイタリア語で考え、日本語で考えるのは、和食を作るときぐらい、という生活を何年も続けているうちに、今度は日本語を忘れはじめた。たまに日本に帰っても、いきなり話しかけられて不意を突かれたような時に、うっかりイタリア語で答えてしまう、ということが起こるようになった。ある時、初対面の日本人と話していて、「イタリアでお生れになったのですか」と言われたときには、さすがに自分の日本語の低下に愕然として、これはなんとかしなくてはならない、と思った。

というのは、いくらイタリア語ばかりで考えているといっても、そのイタリア語のレベルはイタリア人と比べると格段に劣っているのである。言いたいことは何でも言えるが、ニュアンスとか、表現の的確さということになると、雲泥の差がある。これで日本語までだめになれば、満足に話せる言語が一つもない人間になってしまう。

幸い、そのころからぼつぼつと日本語の電子書籍が現れはじめ、それに加えてiPadというものが発明された。今では、日本の新聞をiPadで毎晩ベッドの中で読むという、考えられない贅沢ができるようになったのである。

おかげで日本語力がかなり回復したので、今度は書く力をつけようと思い、カツブロに参加させて頂いた次第である。ブログの効果はてきめんで、今では犬の散歩をしながらでも次は何を書こうかと、日本語で考えるようになった。

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