dittoで ①

私はひとり、dittoで飲んでいた。

 

この店は病院近くの商店街を抜けた場所に位置し、以前にもカウンターで孝くんとワインを飲んだことがある。

 

何も知らなかった頃の自分が懐かしく、切なく、悲しい。

 

 

 

いつだったか、私の運転する車の助手席に孝くんが乗った時。

 

私がいつもの調子でアクセルを踏むと、

 

『おい、出し過ぎだぞ!』

 

と言われ、初めて彼が怖がる様子を見た私は、なんだかおかしくて笑ったことがあったっけ。

 

意外と安全運転の彼は、もう私の助手席に乗るのは嫌だと嘆いていた。

 

その姿を思い出すと、抜き損ねた棘が胸の奥でうずくような感覚に陥った。

 

 

 

 

あの日、林さんから聞いた話はとてもショックだったが、私が何かを変えられるわけではない。
孝くんが、孝くんの意思で起こしたこと。
それをどう咀嚼するかは私の自由だし、ましてや彼を変えることなどできない。

 

“愛している”と言い合ったふたりが、他人になる。
いや、結局どこまでも他人なのだ。
抱かれたからといって、そのひとの“モノ”になるわけではない。
セックスは、何かを約束してくれるわけでもないし、特別なチケットを手にできるわけでもない。

 

 

 

様々な出来事をカウンターで飲みながら思い出していると、病院にいる岩佐くんから電話がかかってきた。

 

岩佐くんとは以前よりも、仕事上で色々なことを話し合える良い関係になっている。

 

 

岩佐くんは仕事の話をした後、ふと私に聞いた。

 

『今どこ?近く?』

 

『dittoだけど』

 

『あ、そうなの?
じゃあ俺も今から行くわ』

 

『えー?なんでよ』

 

『たまには俺とも飲めよ。こっちもう終わったから』

 

15分ほどでこちらへ着くと言う。
孝くん以外の男性とお酒を飲むなんて、すごく久しぶりだ。

 

私はすでに飲み過ぎてしまっていて、心配したマスターがフルーツを切って出してくれている。

 

岩佐くんが到着して私の右側に座ると、ジャックダニエルをオーダーしていた。

 

私はこの時、孝くんの話を初めて岩佐くんに聞いてもらった。
岩佐くんは信じられないといった様子で相当驚いて、

 

『木坂先生って…
いくつ年ちがうの、お前…』

 

『年の差は関係ないの』

 

『はあー…マジか…マジかー!』

 

『なんで岩佐くんがショック受けてるのよ』

 

カウンターに顔を埋め、悶絶している彼。

 

 

 

林さんと新井さんの件については、

 

『俺さあ、その話聞いたことあるんだけど…
時期はお前とかぶってないはずだよ』

 

と言う。

 

『かぶってなければOKなの?』

 

と、承服しかねる気持ちで聞く私。

 

『木坂先生はお前のこと、ちゃんと好きだったんじゃない?
全部聞いたの?納得できなかったこととか、引っかかってることとか。

ただヤキモチ妬いてるだけなのか、相手の人間性がもう無理なのか。

バイアスかかった見方してると、自分も相手もつらいだろうからなあ』

 

 

そして岩佐くんは、青山さんの件を回想しながら言った。

 

『だからエルメスのイケメンの時に、普段冷静なお前が医局で血相変えてたんだな。
あれは本当にすまなかったと思ってる』

 

※エルメスのイケメンについては
cf.『曲解①②』5月26日記事

 

『もういいよ…
元はと言えば私が悪い』

 

『あの日、通用門でお前とエルメスに出くわした時…
俺、なんかすげえムカついたんだよね。
医局ではあんなふうにお前をからかったけどさ。

俺、こいつのこと好きなんじゃねーか?って。
こいつってお前のことね』

 

私は何の反応もせず、オリーブを口に入れてもごもごしている。

 

すると岩佐くんは、もうすぐ30歳になろうとする大人の男性の精悍な横顔で、これまでにない真面目な口調で言った。

 

『木坂先生と付き合ってたって聞いて、気持ちがはっきりしたわ。

俺、全部切るから、女。

好きな女ができた時、男は遊ぶのを辞めるんだよ。
少なくとも俺は、木坂先生のようなことはしてないから』

 

岩佐くんは真剣に話してくれたが、私は告白らしい話を聞く余裕がなく、さっきから吐き気を我慢している。

 

 

『ごめん、吐きそう』

 

『いいよ』

 

私は慌ただしくカウンターから離れ、お手洗いに駆け込むと、岩佐くんが後ろからついて来て、私の背中をさすってくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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