退職 ②

孝くんに引き止められた私と岩佐くんは、医局前の廊下で三人、立ち話になった。

 

 

 

孝くんは、私に

 

『辞めるんだって?』

 

と無遠慮に言葉を放った。

 

きっと、退職希望の話を私が直接孝くんには話さずに、別の上司に先に伝えたことも気に入らなかったのだろう。

 

やっぱりその話か…と私が視線を落としていると、孝くんは

 

『専門医もまだだろ?
せっかくこれからという時なのに、なぜそんなつまらないことをするんだ』

 

と切り捨てるように言った。

 

 

つまらない?
どうしてそんなふうに言うの?

 

私は腹立たしさよりも悲しさが大きく、口答えはすまいと思っていたのに、つい言い返したくなった。

 

『家業を手伝うことを、つまらないことだとは思っていません』

 

私の生意気とも取れる反論に孝くんは、バカバカしいとでも言いたげに続ける。

 

『その年でメス置いて、この先なにやるんだ。
医者やるなら外科じゃなければくだらんだろ?
同期として、岩佐先生からも何か言ってやりなさい』

 

孝くんは私だけでなく、内科医の父をも否定するような受け入れがたいことを言い、私は返す言葉もないほどに失望した。

 

その様子を見ていた岩佐くんは、

 

『今回の退職は、彼女も想定外のことでつらいはずですから、同期としては尊重したいと思っています』

 

と言ってくれた。

 

孝くんは、もちろん自分側の意見に岩佐くんが賛同するはずと考えていたようで、そのあてが外れて更に不機嫌になった。

 

『仙石先生がいなくなると、君も相当な痛手だろ?』

 

と、孝くんが岩佐くんに迫ると

 

『でも、決まっているオペは全部済ませていくのですから…』

 

と、岩佐くんが私を徹底してかばう姿に、孝くんは何か思うところがあるようだった。

 

 

 

孝くんは私を冷やかに一瞥し、

 

『まあ、年度途中だからねえ。
引き継ぎ等、しっかりと頼むよ』

 

と言い捨てると、白衣を翻し去っていった。

 

 

 

 

 

 

 

『かばってもらえて有り難いけど、岩佐くんはここに残るんだから…』

 

私はそれを言うのがやっとだったが、岩佐くんは

 

『お前は間違ってないよ』

 

と言ってくれた。

 

 

 

 

 

孝くんの考えていることは、手に取るようにわかる。

 

私が彼をいつまでも拒否することへの執着。
私が退職して手の届かない場所へ行ってしまうという焦燥。

 

それはすべて、まだ私を愛していることの裏返しだった。

 

孝くんは少なからず私のことを『自分が育てた』と思っており、退職の話もまず真っ先に自分に相談があるべきだという自信家ゆえの独占欲がある。

 

 

 

 

孝くん、最後まであなたを尊敬させてください。

 

あなたが去年、誕生日にくれた紫陽花は、花を終えた後、実家の庭に植えました。
当初は、あなたのお家に植えられたらいいなと思っていたんだよ。
その意味はわかるよね?

 

 

 

“どうしてこんなふうになってしまったの?”

 

 

 

私は誰にも癒せぬ思いに惑わされながら、ただ日々の仕事をこなすしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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