メゾンGalle806①

送別会の帰り。

 

孝くんを振り切り、岩佐くんとタクシーに乗った私は
“ああ、あと数日でいろいろなことが終わるな”
と、ぼんやり考えていた。

 

孝くんとも、本当に会えなくなる。
もう顔を見なくて済む。という気持ちと、
もう会えない。という両極端な気持ちに揺れていた。

 

孝くんに抱かれている時は、二人の関係が永遠に続くと信じて疑わなかったのに。
こうして別れ、別の男性と夜のタクシーに乗っていると、二人で過ごしたあの時間は幻だったのだろうかとさえ感じてしまう。

 

 

 

 

 

『ごめんね岩佐くん。
送ってなんて言って付き合わせて』

 

『全然いいよ』

 

私は送別会で、岩佐くんが私をかばってくれたことが嬉しかった。

 

『楽しみだな、新天地。
きっと充実するからな』

 

岩佐くんが、明るい声で励ましてくれる。

 

『そうだといいけど…、ありがとう』

 

私はもう、前に進むしかない。
そう思い、自分を奮い立たせていた。

 

 

 

 

ドライバーが

 

『この先は、まだ真っ直ぐですか?』

 

と聞く。

 

『あっ、広井町です。
交差点を右折してください』

 

と告げた後、私は岩佐くんに

 

『少しマンション寄っていく?
よかったらお茶でも』

 

と純粋に誘った。

 

『いいのか?』

 

『いいよ!』

 

 

 

 

 

 

タクシーを降り、私は孝くんともそうしていたようにオートロックを開け、エレベーターに乗り込むと8階を押した。

 

玄関に入ると、岩佐くんは靴を丁寧に脱ぎ揃え、リビングまで遠慮がちにそろそろ歩きながら、部屋の様子を興味深そうに見回している。

 

私はキッチンでケトルを火にかけながら、岩佐くんに言った。

 

『片付いてないから、あんまりじろじろ見ないで』

 

『お前、医局の机も汚ねーもんな』

 

『ひどい!』

 

『あははは冗談だよ。
可愛い部屋だな。女子じゃん』

 

岩佐くんは、私に勧められるままにじゅうたんの上に座ると、テレビの横の本棚に気づいた。

 

私が紅茶の入ったカップをテーブルに並べていると、彼はある一冊を見つけて言った。

 

『あ、これ俺も持ってるよ』

 

『ほんと?それ見やすいよね』

 

『あっ、これも同じの持ってる』

 

次に岩佐くんが手に取ったのは、孝くんから借りたままになっている本だった。

 

『あ…返さなきゃ、それ…』

 

私はそう言ったきり、送別会での孝くんの言動をリアルに思い出し、なんとも言えない気持ちになった。

 

言葉に詰まり、紅茶のカップに口をつける。

 

円満に退職したいだけなのに、最後に孝くんともう一悶着あるのかと思うと、胃に潰瘍ができそうだった。

 

 

すると岩佐くんが察して、

 

『ああいうふうにしか愛せない、不器用な人なんだよな』

 

と呟いた後、

 

『でも、お前が木坂先生を好きだった事実は、偽らないほうがいい』

 

と言ってくれた。

 

 

 

 

 

しばらくそのまま沈黙していると、なんだか急に気まずい雰囲気になってしまったので、私は慌ててキッチンに立った。

 

『あ、美味しいお干菓子あったんだった。
どこに置いたかなあ。
紅茶にお干菓子って変かもしれないけど、
変かもしれないけど…』

 

と言いかけた時、背後から岩佐くんのたくましい両腕が私を抱きしめた。

 

 

 

『岩佐くん、』

 

私が名前を呼ぶと、彼は私を自分の方へ向かせ、対面になった私を見つめた。

 

岩佐くんが言う。

 

『仙石、はっきりしてほしい。
俺は前に、気持ちは伝えたよな。
俺を振るならちゃんと振ってくれ』

 

私は彼の真剣な顔を直視した。

 

 

 

 

 

 

『…私、振らない』

 

彼はまだなお私を見つめ、次の言葉を待っているように見える。

 

『私、岩佐くんのこと好きだと思う』

 

『迷ってないか?』

 

『迷ってない。
この前のキスの続きもできる』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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