山田孝之、殺気立つ演技だった

テレビ東京開局記念日ドラマ特別企画の『破獄』をみました

今日は録りためているドラマの中からテレビ東京開局記念日ドラマ特別企画の『破獄』を見てみました。

主演が山田孝之でテレビ東京となると、すぐに頭に浮かぶのが『東京都北区赤羽』です。
あのドラマはいったいなんだったのかと今だによく分からないままです。
山田孝之に騙された感があり、ドラマが終わった後、山田孝之が苦手になりました。

話しがそれてしまいましたが、そんな思いもあったし、内容が重い感じがしたので なかなか見ようという気にならなかったのが本音です。


引用:http://www.tv-tokyo.co.jp/hagoku/

何度も脱走を繰り返す無期懲役囚 佐久間(山田孝之)と看守長 浦田(ビートたけし)との心理合戦が続き、網走刑務所では継ぎ目のない手錠をかけられ、傷口からウジがわき、寒さで布団までが凍りつき、脱走するために何か隠していないかとお尻の穴に指を入れられ泣き叫ぶ佐久間無期懲役囚。
山田孝之の演技は殺気立っていて、見ているこちらまで鼓動が早くなっていました。

佐久間無期懲役囚のモデルになったのが、実在した白鳥由栄元受刑者。

収容先の刑務所で次々と脱獄事件を起こし「昭和の脱獄王」と呼ばれた異名で知られる。
当時の看守の間で「一世を風靡した男」と評された。26年間もの服役中に4回の脱獄を決行、累計逃亡年数は3年にも及んだ。
超人的な体力と腕力を持っていたとされる

脱獄再現シーン(博物館網走監獄)

「どうやって高い所をよじ登ったんだ」と浦田看守長が聞くと、
「ヤモリのように よじ登った」と、佐久間無期懲役囚は答えた。

白鳥由栄元受刑者の脱獄歴
  • 1936年 青森刑務所 – 針金で手製の合鍵を作り、開錠して脱獄。
  • 1942年 秋田刑務所 – ブリキ板に釘で加工した手製の金工鋸で鉄格子を切断し、脱獄。
  • 1944年 網走刑務所 – 味噌汁で手錠と視察孔を錆びさせ外し、関節を脱臼させ、監視口をくぐり抜けて脱獄。
  • 1947年 札幌刑務所 – 床下からトンネルを掘り脱獄。視線を上に向けてごまかしながら隠し持った金属片でノコギリを作り、床板を切断。食器で穴を掘って逃走
  • 1948年 府中刑務所に収監。以後模範囚として過ごし、1961年に仮釈放。

味噌汁でネジを錆びさせるのを考えついたのには驚きました。
アルミカップの飲み物をネジにつけて何をしているのかなと見ていて、中身が味噌汁だとは思わなかったので。。

囚人も1人の人間。
「看守からひどい仕打ちを受けたけれど、浦田看守長は違っていた」
札幌から府中に移送された日(7月31日)が佐久間の誕生日で、浦田看守長はちゃんと覚えていて、サッとりんごを手渡した。その時、佐久間の目には光るものがありました。

白鳥由栄元受刑者は、府中で一般の受刑者と同様に扱われたため、模範囚になり、昭和36年に仮釈放されたそうです。

    山田孝之、殺気立つ演技だった”へ2件のコメント

    1. 臺灣貓老公 より:

      山田孝之は私も苦手でした。ウシジマくんをみて、あまりにイメージ通りでしたので、以降は見直しています。

      1. juris より:

        コメントをありがとうございます。山田孝之のウシジマくんは当たり役だと思います。冷酷な目つきで表情が変わらないのが演技とは思えないほどです。『東京都北区赤羽』をみてから、なにを考えているか分からない人だなという印象が強くなってしまいました。が、若手俳優の中でも、演技は軍を抜いているのではないでしょうか。

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