『第15回 5・29 横浜大空襲を語り継ぐつどい』に参加してきました

ピースリレーの大船観音で一緒に参加した方から教えてもらったイベントなんです

5月15日に参加したピースリレー『平和祈念塔参拝・原爆慰霊碑』で一緒に参加した方から「このようなイベントがありますよ」と教えてもらって横浜市中区の山手のほうの教会まで行ってきました。

横浜駅からバスに乗って行ったんですが、久しぶりにバスもいいものだなと感じました。
桜木町から関内、横浜スタジアムの横を通り、なにかのイベントをやっているのかスゴい人出で、バスの中からその様子を見るのもなかなか面白いものだなと景色の一部として見ていました。
それから元町を通り、山手、本郷のほうへ向かって行く。
まさしく”ザ・ヨコハマ”という街並み。
同じ横浜でも 自分が住んでいる街並みとは全然違うんですよね… なぜか…
素敵な空気が充満しているという感じ。
「うん、いいな。いいな。この感じ。好きな空気だな〜」

主催は”本牧・山手九条の会”で、会場は横浜上野町教会ということで、初めて入る教会でとても緊張しました。現在 教会は工事中で仮会堂でしたが、クリスチャンの方たちが来ていると思うと、なぜだか緊張しちゃったんですね(汗)

始まってすぐに『ムーンリバー』『イエスタデイ』などのピアノ演奏があり、特にボズ・スキャッグスの『We’re All Alone』が心に染み入りました。
山手の教会で聞く 『We’re All Alone』は、甘酸っぱい初恋を思い出させてくれました。

そして、本題の横浜大空襲を体験されたお二人のお話をお聞きして、実際に体験された方のお話は真に迫っていて、改めて戦争の悲惨さを痛感させられました。

 

最初にお話された金子光一さんは、5歳だったので横浜大空襲以前の記憶が全くなくなってしまうほどの恐怖を味わったそうです。
戦火を逃げ回る恐怖、焼け野原に転がる焼死体。
「同じような体験を誰にもさせたくない。戦争は絶対にだめだと伝え続けたい」と語っていました。
逃げ回る際、キリン園公園を通りという言葉が聞こえ、「キリン?」に反応しました。
自分の住んでいる近くにキリンの工場があるからです。やはり、キリン園公園はキリンビールに関係していて、公園はビール工場の敷地の一部だったようで”麒麟麦酒開源記念碑”の大きな石碑があるようです。

座古秀子さんのお話では、横浜大空襲の日 警報とともに防空壕に逃げたが、その窓からみた空が忘れないと語っていました。
「空は真っ黒で、雨のように焼夷弾が降ってきた」と。
安全な場所に逃げる途中で見た川の中は火傷を負った人たちが息絶えていた。横浜は全部焼け野原。
死体の山。死体のニオイがすごかった。あんな恐ろしいことはない。
アメリカ兵の中には「命令でさせられたことだから ごめんなさい」と言ってくれる人もいた。
チョコレートやチーズを配ってくれる人もいた。アメリカでも普通の市民が集められて兵隊になっているのであって、
どの時代もどの国でもいつも犠牲になるのは一般市民だということ。

帰りに空を見上げてみました。
ちょっと曇ってはいましたが、この空が真っ黒になり、雨のように焼夷弾が降ってきたこともあったのだと、とても信じられませんでした。今のこの空に感謝したい気持ちでいっぱいになりました。

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