『上祐史浩vs大島てる 第2サティアンvs事故物件炎のトークショー』に行ってきましたぁ〜

一番前のかぶりつきの席にて じっくりとお二人のお話を聞くことができて大満足です!!

今回のイベントには1人で参加していて、ロフトプラスワンまで人でちゃんと行けるだろうかとまず不安になり、会場に入ってからも どうやって時間をつぶしていたらいいのだろうなんて悪い考えが浮かんでいましたが、1人だったのが功を奏して、一番前のかぶりつきの席にスタッフの方が「前の方も空いていますよ〜」と手招きをしてくれてラッキーな気分に変換してくれました!!

それにしても、前すぎ。。。だな。。。
顔がまるわかりやん!
恥ずかしいやん。

まあ、でもでも、大島てるさん、上祐史浩さん、司会の村田らむさんのお顔がよ〜く見えて感激でしたよん?

とうとう始まりました楽しみにしていたトークショウが❗❗

オウム真理教で使っていた施設の跡地がことごとく”まいばすけっと”になっているという話には大笑い?
なんでだろう??
支部やオウム診療所、横浜支部の跡地が揃いも揃って”まいばすけっと”になっているなんて、なにかイオングループの陰謀かなんて考えちゃいましたけど。。。

大島てるさんが運営しているサイト『大島てる CAVEAT EMPTOR: 事故物件公示サイト』のリンクで紹介されている”黒川高一の乱”では、事故物件の大家から「大島てるによる記事は事実無根で名誉棄損にあたる」として、横浜地方裁判所に民事提訴されたが、弁護士に頼らず完全勝訴したという逸話をお話して下さいました。
大家さんとしては、殺人が起きた物件としてサイトに載ると借り手がなくなるのは困ることでしょうけど、借りる側に隠蔽するのは間違っていることです。
その物件が、家と近い横浜市鶴見区だったということにも驚愕。

事故物件のサイトを運営していると脅迫や殺害予告などしてくる輩もいるというお話”福寿洋輔の乱”もして下さいました。

命を張ってサイトを運営してくれているんですね。

上祐史浩さんの印象は、自分と同じくらいの年代にしてはとても若々しく、「ああいえば、上祐」の頃のまんまでした。
オウム真理教の広報担当として、テレビ画面によく映っていたあの上祐史浩さんが目の前にいるという現実が一瞬信じられない感じ。

お話を聞きながら、1980年代後半からのあの時代のことを思いかえしていました。
バブルで湧きたち、昭和天皇崩御により平成へ。
ノストラダムスの大予言「1999年に恐怖の大王が降ってくる」。
この世の終わり、ハルマゲドン。

世紀末になるということで新興宗教に目覚めていく若者たちも多かったということ。

麻原彰晃が死刑執行されたときはどんな気持ちだったかを聞きたかったので、質問用紙で書いたところ、その質問が一番多かったみたいで、村田らむさんが問いかけたところ、
上祐史浩さんは、「ホッとした」と言いました。

「えっ」と、時間が止まったような気が自分の中に流れていました。

「麻原彰晃が生きているから緊張感があった」

そうなんだ。そうだったんだ。

1995年の逮捕時は悲しかったそうですが。

平成と共に始まり、平成と共に終わった。
この言葉にすごい重みを感じました。

生で聞いたお話、とても貴重な体験をさせていただきました。

緊張しながら聞いていたので、お尻と背中が痛くなってしまいましたけどね。。。トホホ

大島てるさんと写真を撮らせていただきました!!
ありがとうございましたm(_ _)m

ゴジラロードを通り抜けて行って参りました〜

11月6日、『ターミネーター』ジャパンプレミアが行われた歌舞伎町のゴジラロードを歩いていることに感激!!
この道を4日前にシャワちゃんやリンダ・ハミルトンが歩いていたのかと思うと感慨深ったです?

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