普通が、当たり前が、一番難しかった。

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最初に、正直に告白すると、これは前働いていた会社の元上司が出した本です(^^♪

だから、というわけではない。純粋に面白く、あまり広くは知られていないであろう歴史を丁寧に、誠実に掘り起こしているところに、感動さえも覚えたから。純粋に、多くの方に読んでもらいたいな、と思ったから。

「特攻」と聞くと、本当に怒りすら覚える、無謀な行為にほかならない。しかし、かの戦争末期、上からの命令には服従が鉄則だった日本海軍の中で、特攻に公然と異議を唱えた若き指揮官がいた。その人の名は、美濃部正。

根拠がなく無責任な精神論に流されず、徹底して正攻法を貫いた。圧倒的な物量の差で勝てるわけのない米軍に、最後はもはや目茶苦茶な体当たりを現場の人間たちに強要していた愚劣な海軍上層部。そんな中、創意工夫を凝らし、データを重視し、極力人的被害をなくそうと努めた。

一命を賭して国に殉ずるには、それだけの成算と意義が要ります。死にがいのある戦果を上げたいのは当然。精神力一点張りの空念仏では心から勇んでたつことはできません。同じ死ぬなら、確算ある手段を立てていただきたい。

特攻、特攻と叫ぶ、ずっと上位の参謀相手に、真っ向から立てついた。彼のおかげで救われた尊い命は、どれほどあっただろうか。

こんな人が戦時中に、しかも軍の中にいたとは、驚きでしかない。本当に奇跡だった。

実際の彼は決して豪傑でもなければ英雄でもなかった。普通に迷い悩み、家族や部下を思い、命を大切にする等身大の人間だった。……あの時代には、それが一番困難な生き方だったはずである。

著者はこう指摘する。まさにそうだっただろう。普通が、当たり前が、正道を通すのが難しいとは、何という時代だったのか。

戦後は、航空自衛隊の育成に身を捧げた美濃部氏。若手や下位の隊員のことは常に気遣った半面、幹部たちへの指導は、それは厳しかったという。81歳と11カ月の人生、最後まで垂範率先を貫いた。

愚かな組織と、そんな逆風に立ち向かい続けた勇気ある個人。その対照的な在り方からは、いろんなことが学べそうな気がする。だからこそ、多くの人に読んでほしいと思う。

http://hojosha.co.jp/menu/529022

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