僕のねこは捨て猫だった…(前編)

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2週間ほど前だっただろうか、ネット上のニュースで、"猫の一生には150万円必要 「迎える前に考えて」と猫シッター"というものがあった。この記事によると、飼いねこは、平均寿命が15年で、その間に費用が150万円かかる、ということなのである。

このニュースは、フェイスブックのタイムラインにもエントリされたので、僕はそこで読んだ。
15年で150万円ということは、年に10万円、月に1万円弱である。僕は、他にねこを飼ったことがないので、この金額が妥当なのかどうなのか、よく分からない。でも、うちのねこは、どう考えてもそんなにお金がかかってきたようには思えなかった。
そこで、フェイスブックのコメント欄に「うちは、この10分の1くらいしかかかっていないと思う…」という趣旨のことを書き込んだら、様々な反応があったのだ。「10分の1」という数字は、僕がそのときに思いついた、大雑把な感覚である。

どんな反応だったのかというと(覚えている限りでは)、「ごはんは、ふだん何を食べさせているの?」とか「病院には連れて行かないの?」とか「予防接種のワクチンは?」とか「トイレはどうしているの?まさか外で?」とか、まあそういった内容のことだった。
つまり、日常的にもっと色々な費用がかかっているだろう、それらを集めれば、150万円の10分の1程度で済むわけがないのでは、ということなのだろうと思う。

そこで、この場をお借りして、うちのねこを飼い始めた顛末を書き置き、これまでにかかった費用を、記憶している限り拾い集めて、あとで算出してみようと思う。どうぞ、お付き合い下さい…。

ちなみに、上の写真は、3日くらい前の近影です。うちのねこは、今年で18歳。人間で言えば、なんと90歳以上に当たるのだそうだ(…ホンマかいな)。
僕が食事をしているときには、大抵こうして横にお座りをするのだw 特に、おかずが魚のときには、鼻を効かせて、隣の部屋の奥からでも走り寄ってくる。人間が何か美味いものを食べている、というのを知っているのだ。おこぼれを頂戴しよう、という訳なのだろう。
こんなとき僕は、新約聖書に出てくる、「でも、小犬たちも主人の机から落ちてくるパンくずを食べるのです」(田川建三訳)という一節を何故か思い出す。その文に出てくるのは、ねこではなく犬なのだけれどもw


さて、うちのねこは、タイトルにもあるように、捨て猫だった。だから、取得費用が、そもそもゼロだw(上の150万円に、この費用が含まれているのかどうか、分からないけれども)

もう、18年も前になるのだ。当時はまだ、うちに子供がいなかった。梅雨時の駅前で、かみさんが拾ってきたのである。
まずはじめ、仕事へ行くときに、駅前に落ちていた段ボール箱の中に、何匹かの子猫がいるのを見かけたのだそうだ。生後ひと月にも満たないような、謂わば乳飲み児たちだ。かみさんは、子供の頃からずっとねこを何匹か飼ってきたため(その当時も、実家で飼っていた)、殊更にその子猫たちのことを不憫に感じた。しかし、いかんせん仕事に行くところだったので、ただ通り過ぎるしかなかったのである。

そして、夕方、仕事が終わって帰る途中、もう一度その箱の中を見たら、子猫は一匹だけになっていた。他は、拾われたのか、どこかへ這って行ってしまったのかは、分からない。でも、一匹の子猫が一日中雨の中を、肌寒さと空腹でグッタリとなって、残されていたのだ。かみさんは、そのねこを拾い上げて、両手で包み隠すようにして、電車に乗って帰宅したのである。

うちのねこは、こうして連れられて来た。僕たちは、その当時、賃貸のマンションに住んでいたのだけれども、実は、ペット禁止の規則があったのだ…。

後編に、続く…)

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ねことは余り関連のない本ですが、本文で登場したので、行きがかり上ということで、以下ご紹介。
田川建三博士は多分、日本でも(あと世界でも)最高水準の新約聖書研究をなさっているひとりだと思います。(どうも、キリスト教信徒の一部の方々は、それを認めようとはなさいませんけれどもw)何と言っても、宗教臭さの無い直訳調の訳文と詳しい註が特徴と言えるのでは。
今夏には、この『新約聖書 訳と註』シリーズの最終巻を刊行予定なのだそうです。とても楽しみ…。

田川建三訳著『新約聖書 訳と註 1 マルコ福音書/マタイ福音書』
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