田川建三を読み、坂本龍一を聴き、Blu-rayを観る、そんな日曜日だった…

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前回の投稿で、土曜日は午後から仕事だった、と書いた。

その帰り道のことである。半月からやや膨らんだ月が綺麗だった。家に帰ったら、また自作の望遠鏡とiPad miniで撮影したいくらいだったのだけれども、ちょっと疲れていたのである。日曜日の夜でも良いや、と思ったのだ。
それから、その月の隣でもない、少し離れたところに、やけに明るく大きく見える、赤茶けた星が見えた。火星かな?とも思ったけれども、今はそれが見える時期ではない筈だ。一体何の星だろう、と不思議に感じた。

何せ、自転車に乗りながら空を眺めているので、道に応じて方角がよく変わる。その赤茶色い星も、東に見えていたのか、西に見えていたのか、あとでよく思い出せなくなってしまった。
だから、家に帰ってから、ネットで星図を見ても結局、その星のことは分からずじまいだったのだ。これも、日曜日の夜にまた見えるだろう、とそう考えることにしたのである。

ところがどっこい、実によく出来たもので(嫌な具合に、よく出来ている。いつものことだ)、日曜日の夜は一晩中曇天で、月も星も見えず仕舞いだった。その赤茶けた星のことは、謎として残ったのである…。今日もまた、曇っている。


さて、日曜日は、特にやっておかなければならない作業もなく(自転車修理も終わったことだし)、図書館に行かなければならない訳でもなく(それも、木曜日に終えた)、一日中、家に詰めていたのである。
これを、僕は「家から一歩たりとも出ない日」と呼んでいる。かみさんにも、予めそう言っておくのだ。何か用事を頼まれたりしないように、であるw

午前中は、先達て箱買いした、ドリップコーヒーを2種類飲んだ。「ヨーロピアンブレンド」と「ゴールデンブレンド」である。
「ゴールデンブレンド」の方は、初めて飲んだ。これは、「ヨーロピアンブレンド」よりも、やや苦味が強いように感じた。やはり、こちらは常用と言うよりは、いっときのアクセントとして飲むのが、僕には良いと思う。

まあ、そんな風にコーヒーを賞味しながら、ブログの投稿を書いたのである。森博嗣氏も、現在開設中のブログ「店主の雑駁」で、投稿文が長くなってしまうことを、数日前に書いておられた。
僕も書いていて、つい長くなってしまうことを、最近感じていたところだった。気がつくと、2000字をゆうに超えてしまっていることがある。そんなときは、ふたつに割って、前後編という具合にすることが多いのだけれども、話の流れによっては分割し難いこともある。

別に、字数制限がシステムの中に設けられている訳ではない。だから、幾らでも書いて良さそうなのだけれども、これも森博嗣氏がご指摘の通り、たくさんの文字を読むことに耐えられない人たちもおられるだろう、と考えるからである。
僕は、SNSのコメント欄のような、狭いスペースに書かれた文章は、4行を超えていたら読まないことにしている。狭隘な空間にモノがギッシリとしている状態が嫌いだからだ。
でも、それ以外であれば、大体大丈夫である。幾らでも読めるだろう。(ただし、適宜改行を行なっていることが必要。改行がなされていない文章も、同じような理由で読むのを憚る)

話がやや逸れてしまった…。それから午後は、これまた図書館から借りておいたDVDを観たのである。『男はつらいよ』であるw 第7作目だっただろうか。山田洋次監督の映画は、『男はつらいよ』に限らず、たまに観ると非常に面白く感じる。
寅さんを観るのも、数年ぶりだ。こうして散発的に観ているので、全48作のうち、どれを観て、どれを観ていないのか、もう分からなくなってしまっている。だから、図書館などで借りるときには、パッケージに書かれているあらすじをよく読んで、慎重に選んでいるのだw

それから、先達て安く入手したBlu-rayで、『WATARIDORI』という作品を観た。フランスの、15年くらい前の映画である。

以前の投稿で、僕はBlu-rayで映画を観る、ということを書いたときに、『アース』という動物ドキュメンタリーの映画について触れた。その後、また同じような動物ものの作品を探してみたのである。
そこで見つけたのが、この『WATARIDORI』だ。様々な種類の鳥を追った、これもドキュメンタリーで、『アース』に劣らず上質な作品になっている。サラウンドも十分に堪能できた。

空中撮影の多い作品である。聞くところによると、鳥たちが人間や機材を怖がらないように、慣れさせながら育てていったようだ。膨大な手間が掛かっていることが窺える、映像美と音響美の作品であった。

夜は、坂本龍一のCD『flumina』を、これまたサラウンドで聴く。最新作『async』にやや似た、抽象的で観念的なサウンドのアルバムである。シンセサイザーの音色が、ドルビープロロジックの効果によって四方に飛び交う。実に幻想的である。
これを聴きながら、田川建三博士の『新約聖書 訳と註 ヨハネの黙示録』を読み進めた。田川建三博士は、文章の中でよく「…けれども」という表現をお使いになる。(トップの写真をご参照)

僕は、この田川建三博士の癖(?)を意識して、自分が書く文章の中でも「…けれども」を頻繁に使っているのである。つまり、真似というか、オマージュというか…。
一方で、「実に」も、僕はよく使う。勿論、意識してのことである。これについては、出どころが別のところにあるのだ。やはり、新約聖書に関係しているのだけれども。(新約聖書の内容を多少ご存知で、且つ勘の良い方ならば、すぐに気づかれるであろう…)

おっと、もう2000字を超えたようだ。田川建三博士の『ヨハネの黙示録』については、またいずれ…。

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こうして、田川建三博士が新約聖書の訳と註を完結する一方で、日本語聖書の総本山である日本聖書協会は、新たな聖書和訳の完成に向け目下作業中である。田川建三博士の、この膨大な研究結果を協会は、さてどう読んでおられるのだろうか?

田川建三 訳著『新約聖書 訳と註 第七巻 ヨハネの黙示録』
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