祖父が百歳になった内祝いの丸盆と、僕のカメラ開封の儀と…

先日、長野の母の実家から、加賀山中塗の丸盆が送られてきた。祖父の百歳の内祝いである。つい先達て誕生日を迎えたそうだ。祖父と僕は、7年前に祖母の葬儀で会って以来なのである。(祖父については、こちらの投稿もご参照)

添え状と一緒に、祖父の近影も同封されていた。写真の中のこの笑い方は、僕が幼い頃から見ている祖父のそれと全く変わらない。
もし祖父を知らない人が見れば、百歳だとは思わないのではないか、という気すらする…。耳は遠くなったようだけれども、呆けもせず、寝たきりにもならず、元気だそうだ。

翻って、僕は、自分が特に長生きしたいなどとは思わないのである。そういえば、最近読んだ、池上彰さんと瀬戸内寂聴さんの対談本で、今年95歳の寂聴さんは、自分がその年齢まで生きていることについて、「悪いことをしたから生かされている。罰なのよ」と仰っている。
多分、生きることそのものは畢竟、罰なのだろう、と僕も思う。そんな刑罰からは早くサヨナラしたいから、僕は長生きをしたくはないのかも知れない。

さて、祖父は百歳まで、こうして元気に生きていて、どんな風に感じているのだろう。
丸盆の添え状は、伯父が書いた。そこには、「百歳という、誰もが経験することのできない場に立ち会えたこと、幸せに思います」と、したためられている。祖父も、きっと同じような感慨を持っているのかも知れない。
祖父からは、色々と聞いてみたい話がある。生きているうちにまた、会えるだろうか…。母の実家には、なかなか顔を出す時間が最近は取れない。でもまだまだ、当分は大丈夫、元気だろう、だからそのうちに…と思っている。


さて、カメラ開封の儀である。前回は、こちら。カメラ店の外箱を開いて、NIKON P900の元箱が顔を出したところまで進んだのだ。

はやる気持ちを抑えつつ、箱を開ける…。

箱の中では、カメラ本体がエアクッションに包まれ、その隣の枠に、付属品が納められている。この商品の付属品は、使用説明書、バッテリー、充電器(ACアダプター)、USBケーブルである。説明書は箱の内蓋の上に置かれ、他は丁寧に袋詰めされていた。
このカメラ店の仕事は、メール対応も梱包も、このように丁寧でとても良いと思う。機会があれば、また利用してみたい、と思う。

早速、別途購入しておいたハンドストラップをカメラに取り付けてみる。本体右側のストラップ取り付け部にストラップを通す。ややキツかったので、レターオープナーの先端を使って押し込んだ。あとは、ネジを本体下の三脚ネジ穴に回し入れる。

左側のストラップ取り付け部は、どうしようかと思った。カメラ用のショルダーストラップに適当なものがないので、首から下げるタイプのストラップで、丈夫そうなものを使うことにした。
何処で入手したのか、もう忘れたけれども、BMWのロゴや文字が入っている。先端は、スマホのストラップのような紐ではなく、頑丈な金具で出来ている。

これを、ハンドストラップの左側にある、ストラップ取り付け部に付けておくことにした。カメラ左側のストラップ取り付け部でも別に良いのだけれども、大きさに殆ど余裕がなくて、ややキツいのである。
こうして、首から下げつつ、撮影時にはハンドストラップに右手を入れて持つ、という体勢で良いだろう、と思う。

SDカードは、手元にあった1GBのものを、取り敢えず入れておいた。多分、これはクラス4だと思うので(ステッカーを上から貼ってしまってあるので、確認できず…)、容量ともども、その内これでは足りなくなるだろう。
まあ、その辺りは追い追い別の物を用意するとして、試しに撮影をしてみることにした。家の中や外の景色、また月も撮ってみた。この時期は月が早朝に昇る。朝の仕事に行く前に撮ってみたのだ。

それらの写真については、次回また…。

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上に書いた、池上彰さんと瀬戸内寂聴さんの本というのは、これです。おふたりが、実にざっくばらんな対談をしているのが面白いです。また、対談の前後には、それぞれのエッセイも収録されています。

瀬戸内寂聴 池上彰 著『95歳まで生きるのは幸せですか? 』
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