今日も、自衛隊ヘリの編隊を撮った。あと、天才鬼才の指揮者、テオドール・クルレンツィスについて…

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今日と明日は、塾の仕事が休みになった。まあ、僕にとってこれは、少し遅れてやって来た連休だなw 先週末は休みの日が結局、一日もなかったので。

そして息子も、今日は高校が休みだ。これから暫くは、登校が一日おきくらいになる。同じ敷地内の中学校で、入試が行われるためなのだ。私立の学校は、どうしてもこの時期、そのような休みが多くなりがちである。
僕は、そんな機会を見計らって、息子の通学用自転車のメンテナンスをしてやるつもりだ。特に、前カゴの劣化が酷い。いつも教科書などを10kg以上も載せて走っているからだ。場合によっては、新品に交換してやろう。カゴは、これで3個目になる。

さて、今日も自衛隊のヘリコプター UH-1が編隊で飛んでいるのを見た。昨日と同様に、3機編隊だ。

実は、その前に、哨戒機としてだろうか、他に一機だけ先行してやって来ていたのである。それは、この辺りを北へ南へ行き来して、やがて3機と同じ方角へ消えていった。

3機編隊は、南中を過ぎてやや傾きかけた太陽を背にして颯爽と登場した。これが、実に格好良かった。僕は、それを眺め、ほおお…等と驚嘆している内に、撮影しそこねてしまったけれどもw
どうやら、防人の皆さんは、昨日今日と演習にお忙しいようである。やはり、近く想定していることが、何かあるということなのだろうか?それとも単に、新年の定期的な演習なのだろうか?


さて、トップの写真は、先達て図書館で借りた、『レコード芸術』誌の2016年3月号である。テオドール・クルレンツィスの特集があったので、市内の他館から取り寄せておいて貰ったのだ。

テオドール・クルレンツィスといえば、少し前の投稿でも紹介した。昨年秋にリリースされた、チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」の実に衝撃的な演奏が、余りにも記憶に新しい指揮者である。
そのCDは、同誌の最新号で、「レコード・アカデミー賞」の大賞を受賞した。加えて、同じくクルレンツィス指揮のモーツァルト「歌劇『ドン・ジョヴァンニ』」も大賞銀賞を受賞した。この賞では史上初の大賞W受賞なのである。

そんな、今や乗りに乗っているテオドール・クルレンツィスの指揮姿が表紙になっている、『レコード芸術』。この写真を見て、おや誰かに印象が似ているな…と思って取り出してきたのが、グレン・グールドのDVD、『ゴルトベルク変奏曲』だ。
両者とも、彫りの深い眼窩の奥に、鋭い眼光を湛えている。それは、忌憚なく言えば、狂気を孕んでいる目つき、と言ってもいいだろうと思う。僕は、天才的な芸術家特有のこの表情が、この上なく好きなのである。

『レコード芸術』誌の2016年3月号に掲載の、テオドール・クルレンツィスへのインタビュー。これが読ませる。別名「指揮する哲学者」とか呼ばれているクルレンツィスの思考が垣間見ることができ、興味深い。
下の写真をご覧あれ。インタビューののっけから、これである。インタビュアーの方も、「ぶっ飛んだ」とか「目が点である」とか正直に書かれている。わはは、天才鬼才はやはり、こうでなくっちゃw

ちなみに、このテオドール・クルレンツィス、師匠が、あのワレリー・ゲルギエフと同じ人なのだそうだ。つまりは、ゲルギエフと兄弟弟子。これは、よく分かる気がする。
以前の投稿でも書いたけれども、ゲルギエフは、曲中の聴かせどころのパートを見事に浮き上がらせることが得意な(…という具合に僕は聴いている)指揮者のひとりである。加えて、演奏がアツい。

この方向性に、更に輪をかけたのが、テオドール・クルレンツィスの演奏なのだろう。凄く大雑把に言えば、そういうことなのだと思う。しかし、それだけではない。クルレンツィス独自の芸術観が、そこに数多加わっている。それが、上に挙げた「ぶっ飛んだ」ものなのだろう。
グールドも、そうだった。例えば、「パルス」という独特の概念を作って、それをレコーディング中の演奏に適用していった。それが、グールド独自の芸術的姿勢なのである。きっと、クルレンツィスにも、そのようなものが何かあるのだろう、と思う。

あと、僕の印象に残っているのは、CDに収録された演奏における音響という点である。上に、パートを浮き上がらせる、ということを書いたけれども、クルレンツィスの場合には、多分レコーディング時の音響的な処理も、そこに増し加わっているように感じられる。
僕がクルレンツィスの「悲愴」の演奏をFM放送で初めて聴いたときの印象のひとつは、「まるで、トーマス・バーガーセンの音楽のような響きだな…」というものだった。

トーマス・バーガーセンは、僕が好きな作曲家のひとりで、主にハリウッド映画の予告編の音楽などを製作している。ストリングスやブラスの音をふんだんに用いた、豪華で厚みのある音が特徴だ。
下に、代表的な曲の動画を貼っておきたい。レコーディング風景を撮ったものである。こうして、クワイヤも含めた大人数の編成で収録しているのだ。

正直に言うと、僕は、トーマス・バーガーセンの音楽を聴き始めたとき、これは生演奏ではなく、コンピュータ上の疑似オーケストラで演奏させたものだろうと、随分の間そう思っていた。各パートの音がリアル過ぎたのだ。
だから、上のようなレコーディング風景の動画を観るまでは、きっとこれはコンピュータで丹念に音色や音量などを調整した演奏を収録しているのだ、と考えたのである。そのくらいに、音響が実に良く出来ている。

テオドール・クルレンツィスの「悲愴」も、これとよく似た音がする。むしろ、もっとダイナミックで迫力があると思う。例えば、弦楽は、弓が弦に擦れるゴリゴリという音が鳴っていることがあるのだ。
これは、僕の想像だけれども、パートごとにマルチトラックで収録した各楽器の音量を、ミキシング作業でかなり微調整しているのではなかろうか。それは、決して悪いことではない。いや、よくそこまでやってくれた、と僕などは感じるくらいだ。

グールドの話に戻るけれども、グールドもまた、レコーディングにこだわりのある演奏家だった。録音後の編集の際に、コンソールの隣で指揮のように手を振りながら、ここはこちらのテイクを使おう等の指示出しをしている映像を見たことがある。
テオドール・クルレンツィスは、まだまだ自身の全貌を我々の前に現しているとは言えない気がする(上のインタビューも、日本の誌面では初だったようだ)。今後この人の色々な側面が表に出てきたときが楽しみだ。レコーディングは、一体どのように進めているのだろうか?実に、興味深い。

いやあ、まだまだクルレンツィスについては語りたいことがあるのだけれども、紙幅が尽きてきた。今後は、ベートーベンの交響曲を全曲録る予定なのだそうだ。どうか、それでベートーベンの苦手な僕を翻弄しちゃってくださいましw

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そう言えば、これも買った。テオドール・クルレンツィス指揮、ムジカエテルナ演奏のストラヴィンスキー「春の祭典」。これは、もっと聴き込んでから、感想などを書いてみたいと思う。(下のジャケットの、点々の中の文字が、読めるかな?)

『ストラヴィンスキー:春の祭典』
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