雪が積もって、大変だなあ。そうか、これは4年振りなのだろうか…

昨夜は、塾の仕事が、3つあった。小学生の英語の授業がふたつと、中3のそれがひとつである。

まず、小学生の方は、いずれの授業にも来た。この雪の中偉いねー、と思い切り褒めてあげた。それは本心である。この天気の中ではきっと来ないかも知れない、と思っていたのだ。30分歩いて来ました、と言う子もいた。
かたや、7時からの中3の英語では、誰も姿を見せなかった。まあ、仕方がないだろう。塾側では、それを半ば承知しつつ、どの授業も休みの設定にしなかったのである。

中3は、今週の月火水曜日が私立高校の入試日になっている。雪の中を無理して塾に来るよりも、特に夜は、家でじっとして雪をやり過ごしていた方が無難なのだ。
僕は、一応8時過ぎまで塾内で待機し、8時半頃に帰ることにした。帰宅はどのくらいの時間がかかるだろうか…と、ふと考える。電動アシスト自転車のバッテリーが、行きの時点で既に残り0%となってしまっていたのだ。

そう、僕はこの日、自転車で出勤した。電車も車も、あてには出来ないと考えたのである。出勤前、バッテリーは3分の1が残っていた。普段であれば、十分往復に足る残量なのである。
それが、雪の中をどうにか漕いで乗っていたら、片道の半分くらいまで来たときにゼロとなってしまったのだ。雪は案外と抵抗が大きいのだろう。それだけアシストが働いていたということなのだ。

まあ、先達てのカメラのバッテリーの件もそうだけれども、ここぞという時に切れるのが、電池というものの宿命なのか…。僕は、それ以降、ゼロバッテリーの自転車を漕ぎ続けて、塾に辿り着いたのである。
そして、帰途。やはり、ゼロのままの自転車を漕ぐ…と言いたいところだけれども、行きの時点よりは更に積雪があった。道によっては、殆ど雪を掻き分けて進む感じだ。大きな道を通るときだけ、車の轍の上を走る。

いつもの倍の時間をかけて、ようよう帰宅。靴もズボンも上着も、ずぶ濡れだ。僕は、数時間後には起床し、次は早朝の仕事に向かわねばならない。それら全てを、風呂場の乾燥機能で乾かすことにした。

それから、寝る前に思いついて撮ったのが、上の写真である。前回も書いたように、雪が降っているときにフラッシュを焚きながら撮ると、雪がよく写るという。ベランダに、ニコン P900を持ち出し、それをまた実践してみた。

夜は、何とも幻想的に撮れた。上の写真は、望遠気味にして撮影。大小様々な雪のかけらが見て取れる。中には、ハートのような形をしたものまである。

下は、逆に、広角で撮った。写真の下部分には、昼間よりも十分に雪を戴いた、向こうの家の屋根が写っている。

漆黒の闇のような夜空に真っ白い雪。絶妙に良いコントラスト。例えるならば、これは小宇宙だ。星や星雲が数多写った写真のようである。そんな天体写真を、子供の頃に図鑑などで見た。これは面白いものを撮ったと思う。

さて、翌朝。本日のことだけれども。例によって、4時過ぎに起床し、仕事に向かった。一応、自転車を押して行く。道によっては、乗って走るつもりだ。でも、結局半分以上は歩くことになった。
こちらも、いつもの倍くらいの時間がかかり、15分くらいの遅刻になった。でも、うわあよく来たねー、と褒められたのだw 前の日に僕が小学生をそうしてあげたのと、全く同じように。

ここの皆さん勤勉だなあ、と思ったのは、殆どの人が、出勤して作業に取り掛かっていたのである。何人かは、やはり外出が不可能だったのだろう、休んでいた。
作業に供する物品も、一部が入って来ていなかったので、むしろ仕事量が減って楽なくらいだった。結局大変だったのは、通勤だけである。この仕事からの帰宅も、同様に時間がかかったのだ。

帰り着くと、今日も高校が休みの息子が、せっせと雪かきをしていた。雪が楽しいのだろう、いつもはお手伝い嫌いの子が嬉々としてやっている。純粋理系のせいか、全く四角四面に雪を掻き出しているのが面白い。

その姿を、僕は写真に撮る。帰宅するや否や、濡れた着のみも厭わず、P900を取りに家へ入り、また出たのだ。そのまま、辺りを撮って回る。雪に物差しを挿してみたのが、下の写真。

15cmくらいの積雪だろうか。このくらいであれば、僕が生まれ育った長野県では、よくあることだったのだ。今はもう、それ程には降らなくなってきているようだけれども。

子供の頃には、実家の周りの斜面や、木曽にあった父方の祖父母の家家の裏山で、そり遊びをしたものだ。祖父は、僕たちのために材木の端材を利用して、そりをふたつ作ってくれたことがあった。
小学生の頃、冬休みに木曽へ遊びに行くと、それで滑って遊んだものだ。祖母が亡くなり、祖父も亡くなった後、その家を整理する事になった際、そりを貰っておこうと思って探したのだけれども、とうとう見当たらなかった。

きっと、僕たちが中学高校に通うようになり、余り木曽へ行かなくなったので、そりは他の誰かに貰われて行ったのだろう。気前の良い祖父が、近所の子たちに、もう使わないからと言って上げたのかもしれない。
ちょっと惜しいことをした、と僕は思う。自分の子供たちに、これはひいお爺ちゃんの作ったそりなんだよ、と言って遊ばせてやりたかったからだ。しかし、物は所詮、巡り合わせ。そこまでの縁がなかったのかも知れない、とも思う。

上は、かみさんの車。もうすっぽりと雪に覆われている。僕の車は、これ以上に周りが雪だらけで近寄ることも出来ない。数日間は、使えないだろう。暫く自転車出勤を余儀なくされる。
しかし、午後になって、息子と娘が、そちらの方までまた、大喜びで雪かきをしていた。彼らにとっては、滅多にないこの積雪は、作業が何であれ遊びのようなものなのだろう。僕なんかは、面倒で嫌なのだけれども…。

さて、今夜の塾の仕事へは、どうやって行こうか?またまた自転車を半分以上も押して歩くのも大変だ。歩くだけで行くのは、もっと大変だ。たまには、バスと電車を乗り継いで行ってみようか、と思案している。

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