バッハ333回目の生誕日に、グールドの『バッハ・コンプリート・コレクション』を聴く…

今日は、バッハの333回目の生誕日なのである。333と奇数がぞろ目になるところなど、如何にもバッハ的で面白いw

ちなみに、ユリウス暦を今でも用いる地域では、バッハの生誕日を3月21日としているけれども、現在はグレゴリオ暦が主流なので、3月31日ということで良いだろう。
さて、午前中はうさぎを外でじっくり遊ばせ、つくしやたんぽぽの写真を撮った。今は、この日に合わせて、グレン・グールドの『コンプリート・バッハ・コレクション』をずっと聴いている。

上が、『グレン・グールド バッハ・コンプリート・コレクション』の外観。15x22x15cmの、青いクロス貼りのボックスである。5~6年くらい前に、海外で限定販売された。現在は、中古でしか入手出来ないかも知れない。

蓋を開けると、箱の真ん中にCD38枚、DVD6枚分のジャケットが納められている。CDのジャケットデザインは、LPの縮刷である。DVDは主に、グールドが出演した海外のTV番組や、ゴルトベルク変奏曲の映像版などが収録されている。
この箱の寸法は、付属のブックレットのそれに合わせた様だ。CDやDVDを全て並べても13cmくらいの幅にしかならないので、あとはダミーの白い空箱で左右を埋めているw

付属のブックレットでは、グールドの写真を多数見ることが出来る。本文は、イントロダクション部分だけ、英独仏の三ヶ国語で書かれ、その後のトラックリストと作品解説は英語である。生憎と、カラヤンのCDボックスのときの様に、日本語では書かれていなかった。

『二声と三声のインヴェンション』を、LPとCDで並べてみた。ジャケットの印刷は、CDの方が幾分濃い…と言うか、LPの方が色褪せているだけなのかも…。表側も裏側も、ほぼ同一のデザインである。

バッハの音楽は、恰も幾何学の様に、音符を数学的な美で以って積み上げていったかのようである。それを、理知的なピアニズムのグールドで聴くと、僕は何故かとても安堵感を覚える。
勿論、グールドでしかバッハを聴かないわけではないのだけれども、総じてこれに勝る組み合わせは無い様に思われる。本当に、グレン・グールドは空前絶後のバッハ弾きだった。グールド無くては、僕はこんなにバッハを聴かなかったかも知れないくらいだ。


上の写真は、昨夜の月。満月の前夜で、小望月(こもちづき)と呼ぶのだそうな。下の方の、少し欠けている部分をニコン P900の望遠で撮影し、更に拡大。Snapseedを使ってクレーターを強調するよう加工した。

小学1~2年生の頃、図書館で読んだ星の解説の本に、「月は、生命がない死の世界である」と書いてあるのを読んで、ひどく驚いたのを覚えている。現実の月面は、マンガアニメや昔話のような、空想的で楽しい世界ではないということなのだ。
それ以来、荒涼とした月面を望遠鏡などで覗くたびに、「死の世界である」という文言を必ず思い出す。その言葉を意識せずにはいられないのだ。例えば、冥界の風景とは、こういったものなのだろうか、と思うこともある。

そんな有らぬ想像までも膨らみ、月にはまた一層、興味が湧いて来てしまうのだ。今回も、そんな「生命がない死の世界」をイメージして、写真をこのように加工してみた。
さて、今夜は満月。周囲では、ちらほらと桜が散り始めているけれども、まだまだ満開の状態は続いている。こうして、満月と桜の満開のタイミングが上手く合った、というわけだ。

今夜は帰宅後、ちょっとそんな写真を撮りに出てみようか、と思っている。丁度、月が南中の頃合だろう。きっと仰角高度がとても高いので、だいぶ見上げるような構図になるのかも知れない。


下は、午前中にうさぎを外で遊ばせているときに撮った、つくしの写真。この辺りには、ちらほらと合計で10本くらい生えているのが確認できた。
僕は田舎で育ったので、子供の頃、つくしは田んぼの畦などでよく見かけたものだ。それこそ、大小で何十本も群生していた。まあ、それに比べると遥かに少ない数だけれども、その分、草の間から見つける楽しみを感じたのである…。


(まるで、親子で4人家族のような、つくしの群れ)
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このCDボックスをAmazonで探してみたら、そのページに登録されている品名がちょっと違っていることに気づいた。下の写真に写っているタイトルと品名が異なっていることにお気づきいただけると思う。これ、出来れば直した方が良いと思うけどなあ…w

『Glenn Gould Bach Edition Box set』(CD, Import)
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