今年のお正月休みのときに行った、あの沼のある公園を再訪したのだ…

本日は、塾の仕事の方が休みだった。従って、とある用事を片付けに行ったのである。

それは、今週末から始めることになった習い事の手続きなのだけれども、それについてはまた後日にでも…。とにかく、道を探しながら自転車で小一時間走った。目当ての場所は何やら、カタカナの多い名称の総合体育館である。
到着してみるとそこは、息子の剣道の試合で数年前に一度来たことのある総合体育館だった。名前が別のものに変わっていたので、行ってみるまで全く気づかなかったのだ。そのアリーナの上階に、その習い事の場所があるというわけ。

受講の受付はきのうから開始だったので、取り敢えず電話で予約だけしておいた。そのとき、受講費は直接支払いに来てくださいと言われたので、きょう出向いたのである。
窓口の名簿をちらりと見たら、きのうの受付開始の数分後に電話が繋がった僕は、9番目に記載されていた。そして、きょう時点で既に定員一杯になっていた。早めに電話をしておいて良かったと思う。

その帰りには、今年のお正月休みのときにも行った、大きな沼のある公園に立ち寄る。冬の頃とは違って、この暑い盛りには野鳥が殆ど見られなかった。そのせいか、閑散として見える。
トップの写真は、その公園の沼を撮ったもの。あのときと同じく、噴水がふたつ見える。今日は台風一過で、晴れ渡った天気の代わりに、風がとても強い。噴水の水が煽られて、時折しぶきを上げていた。

さて、来たついでに少々散策でもして行こうと考えた。でも、もう夕方近くなのに、僕はまだお昼ご飯を食べていなかったのである。まず、ベンチに座って、途中のコンビニで買ったサンドイッチを食べた。
それから、ニコン P900を首に掛け、自転車を押して歩く。カモやユリカモメなどはいなかったけれども、ハトはいた。強風に耐えるようにして、地面でジッとしている。

僕が近づいても逃げないのである。他のハトもそうだった。随分と人間に慣れているのだなあw それから、カモらしき鳥は、一羽だけ見ることができた。水の上をスイスイと進んでいたのである。

きっと、秋から冬にかけて、あの野鳥たちは再びこの沼に戻って来るのだろう。数ヶ月後にまた、その変化を観察してみようと思う。さて、沼のほとりに、下のような看板を見つけた。

外来種の魚の捕獲にご協力を、というわけである。この側には、簡単な釣竿も置いてあった。そして、道具の入ったカゴの片隅に、小さな魚の亡骸が置いてあったのだ。誰かが釣ったものなのだろう。

体長は数cm程だった。虚ろに口を開けて、まなこは半眼である。上に掲げられていた看板に写っている外来魚とは、やや形が違うように見えるけれども、これも外来種なのだろうか。はてさて…。

こうして歩いている最中にも、突風が吹き抜けて行く。思わず煽られそうになるけれども、うっかり沼に落ちてしまわないように気をつけなければw
噴水を見ると、先程よりも一層激しくしぶきが上がっていた。もう、しぶきと言うよりは、水の塊がそのまま横へ流されているようだ。噴水ではなく、まるで放水である…。

一方で、沼の水面(みなも)は、風に流されて川のように見えた。そこで、向こう岸の針葉樹の林とともに、一枚撮影。何処となく、10年くらい前に訪れたヨセミテ公園の景色を想起させる。ふと、そんな気がしたのである。

お正月に多数のカモの群れを見た柵のある場所に行く。そこは只、虚しく湖水が波を打つのみであった。人影が少ないのは、平日の日中であるためだけでもないのかも知れない。見るべきものが少ないのである。
でも、僕はこの後、対岸の針葉樹林を暫し歩いて楽しむことが出来た。高尾山中のそれとは、木々の奥行きや深さは異なるけれども、先月の山登りを懐かしむのには十分だったのである。

苔生した樹木もある。こういった苔は、高尾山でも見かけた。これもまた、懐かしい光景だ。うーん、やはり紅葉の時期になったらまた、登ってみようかなあ、高尾山に。

そんな懐古的な心境に陥りながら、この沼の公園をあとにした。ここは、実に風光明媚な、良い公園である。この近所に住んでいる人たちが羨ましい。また、来てみようと思った…。

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今回の投稿は、テオドール・クルレンツィス指揮のモーツァルト『ドン・ジョバンニ』を聴きながら書きました。映画『アマデウス』などで耳にした旋律がよく登場してきます。加えて、クルレンツィスによるダイナミックなタクト、これは聞き応えがありますよ…。

『モーツァルト:歌劇「ドン・ジョヴァンニ」 K.527(全曲) 』(CD)
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