うちの天井裏の秘境(?)から、何と楽器を発掘。20数年ぶりにケースを開けてみると…

この週末は、土曜日に2軒の図書館へ本を受け取りに行った以外は、何処へも出掛けずにいた。雨降りだったからと、読書を進めたかったからである。

それから、先達てのバッハ「トッカータとフーガ」で味を占めてw、次の”疑似管弦楽”をシンセサイザーで作る段取りを、この間に整えていた。
最近、僕の気に入っている弦楽曲があるのだ。シベリウス作曲の「アンダンテ・フェスティーボ」である。これは、実に様々な指揮者とオケの演奏があるのだけれども、シベリウスが自ら指揮した演奏の音源も残っている。

下が、シベリウス指揮による「アンダンテ・フェスティーボ」。テンポは、近年の他の指揮者の演奏に比べて、結構ゆっくり目。まあ、このくらいがいちばんゆったりとしていて良いのでは、と思う。

最近、これを聴いたある日本人作曲家は「厳しいまでに澄んだ叙情と、すべてを許すような優しさ」「深い深い青をたたえる湖のような静けさと荘厳さ」「人間が作り出したもっとも崇高なもののひとつ」と、実に手放しの称賛である。
確かに、一聴したところシンプルな構成の音楽であるように聞こえて、実際には何処までも深い奥行きを湛えた名曲だと僕も思う。最後はアーメン終止の一種なのだろうか、まるで讃美歌の歌い終わりのようにして曲が閉じられていく。

さて、この曲をシンセでなるべくリアルに鳴らしてみようというわけである。あの「トッカータとフーガ」のデータのように、冨田勲先生並みのダイナミックなテンポや音量の変化を、この曲にも付けていかなければならないだろう。
そのデータを見て学んだことをよーく反映させていこうと考えているけれども、さて僕に何処まで出来るだろうか…。完成はまだまだ先のことである。


あと、きのうは天井裏の物入れを家探ししていて、とんでもない(?)モノを見つけた。「POCHI」とレタリングしてある茶色いケースに入った楽器だ。POCHIは、この楽器に付けられた名前なのだろうか?

横のふたつのジッパーを開けてみると、ヴァイオリンが一挺入っていた。ははあ、これは弟が大学生の頃に使っていたものだろう。彼此もう、20ウン年前のことである。
当時、母が「夏休みに帰ってくると、家でずっと練習しているのよ」と話していたのを覚えている。僕は終ぞ、弟がこれを弾いているのを見たことがないのだけれども。

ヴァイオリンのf孔から内部を覗き込むと、ブランド名と思しき名前が印刷されたラベルが貼ってあった。英字で韓国製とも書いてある。多分、そんなに高いものではないのだろう、という気がする。

まあ、そのヴァイオリンがどういった経緯か、僕のうちの物入れに置きっ放しになっていたのだ。ケースの端っこにある小物入れの蓋を開けてみると、3〜4cmくらいの丸いプラスチックケースと一枚の紙やすりが入っていた。
その丸いケースは、松脂だった。弓の白い毛の部分に塗って使うのである。その松脂は、下の写真のように、すっかりと干からびた化粧石鹸のようになっていた。角を触ればボロボロと崩れていく。

弦楽器に使用する松脂は本来、琥珀のように美しく透明なものなのだと思う(下のリンクの写真をご参照)。でも、弟のヴァイオリンのそれは、只の茶色っぽい塊であるw 流石に、これは時間の経過を感じさせた。これは、まだ使えるのだろうか?よく分からないけど。

でも、ヴァイオリンそのものも、弓も、そこに張られた毛も、全く古さや劣化などは感じさせない。艶があり、カビなど全く付いていなかった。勿論、弦にも錆や汚れがなく、しっかりとしている。こりゃ、使わなければ勿体無いなw

さて、ヴァイオリンって、ひとりでも練習できるのかな?とネットで調べてみると、YouTubeで独習用の動画を見つけた。下は、その第1回目。1回分が数分の長さで、目下のところ全24回分ほどあるようだ。

実は、楽器はヴァイオリンに限らず、先生に付いて習った方が良いだろうとは思う。でも、僕は音楽に関しては(いや、音楽だけでなく大抵のことは)独学と自己流をずっと貫いて来たのだw
知り合いの中にも、比較的近所でヴァイオリン教室を長年やっている人がいるのだけれども、ここはひとつ自分で弄ってみようと思う。一応の頼りは、上の独習動画シリーズである。

まあ、一生のうちに一曲くらいは弾けるようになるでしょwと、日常の楽しみのひとつとして気長に気楽にいってみよう。

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