僕はいつか、本を書くらしい(苦笑)。そのタイトルまで夢で予知(?)されてしまったのだ…

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トップの写真は、先週のある晴れた日の帰り道に撮影した。いつものニコン P900ではなく、それよりもずっと小さいSONYのサイバーショットで撮ったものである。燕が翼を広げて何羽も飛び交っていたのが印象的な空だった。

灰色の雲を従えた背の高い白い雲が、天高く伸びていた。これは雄大積雲と呼ばれるものだろうと思う。これが更に発達すると所謂、積乱雲になるのだそうだ。
この日は暑かったり、突然スコールのような強い雨が降ったり。つまり、暑い上に、湿度が余計に高く感じられたのである。全く、夏なんて何も良いことがありはしない季節だw

こんなに恨めしいほどの青く広い空を見せて、この星は我々を鞭打ちながらも、幾分と慰めようとしているのだ。自然とは畢竟、こんな風に(余り甘くない)飴と(非常に強い)鞭で出来ているのだと、いつも思う…。


さて、その次の日。仕事がひとつ終わった後に、仕事場に十数台ある古いビデオデッキの動作確認作業を少しやっておこうと思った。取り敢えず3〜4台だけでも。
しかし、うちから再生用のビデオテープを持って来るのを忘れていた。それを映し出すためのハンディなプロジェクターはちゃんと持参して来たのに…。仕方がないので急遽、図書館に行って映画のビデオを借りることにした。

この図書館には今でも、多数のVHSビデオのソフトが置いてある。さて何にしようか、と棚を見て即座にインスピレーションで選んだのが、1983年の『時をかける少女』だった。大林宣彦監督、原田知世主演である。これを観るのはもう、15年ぶりか20年ぶりか…。

100分余りの作品なので、35分くらいずつに分けて3台のデッキで交代させながら観た。プロジェクターは、クーラーのやや効きすぎた部屋のパテーションに当てて映し出した。寒かったw

この映画が、いま観ても実に良い作品だったのである。筒井康隆の原作は、巷間でSFと呼ばれているけれども、いやいやこれは純文学であろうと思う。大林監督も、そう言っておられたと記憶する。
しかし何と言っても、とにかくこの頃の原田知世が可憐なのだ…。角川春樹と大林監督のふたりが惚れ込んで、この映画を作ったというのも分かる気がしてきたのだ。

そんな個人的とも言うべき思い入れをフィルムに焼き付けると、こんな白日夢のような儚い映画になるのだと感じ入った。大林監督の才能、恐るべしである…。

まるで幻灯機で映し出されたかのような、小型プロジェクターを通して観る幾分ぼんやりとした映像は、僕にとっても正に白日夢のよう。80年代の嘗て過ぎ去った幻が、そこに垣間見えていた気がした。
そして、再生が全て終わった後の真っ白な光の束が、ひときわに眩しく思われて仕方がなかったのだ。映画はいつも、束の間の夢を与えてくれる。実に良いものだ…(しみじみ)。


『人間の思考における四面体論』…これは、僕がものした書籍の題名なのだそうである。ある人の夢の中での話だ。僕ではない別の人の夢。
その人は、僕が勤務する仕事場の塾で高校生を担当している数学の先生(男性)だ。この先生に教わって東大や京大などに合格した生徒が実際に数多いる。上の書名の中の「四面体」という部分が如何にも数学家らしいなあ、と思う。

さて、夢の中で、僕は机上に自分の著作を10冊以上も並べて見せていたのだそうだ。そりゃ大層な作家センセイだなw そして、くだんの数学の先生は、ニヤリとしながら「これ、正夢になるんじゃないの?」と言う。さあて、どうなんだか…。

上の写真は、先週土曜日の昼下がり、出勤の途中に撮った。仕事場で写真を撮る作業をするつもりだったので、丁度ニコン P900を持参していたのである。

薄明光線が、中下層の雲間から溢れんばかりに地上へと降り注いでいる瞬間であった。極めて暑い一日だったけれども、陽射しが強いということは、こういった光景を目にする機会にも恵まれるということなのだろうか。
きっと、これは本稿の上の方にも書いた、この星における「飴と鞭」の一環なのだ、という気がしないでもない。僕は、あまりの暑さに汗を流しながら、このとき光による幻想的なオブジェの写真を撮ったのだった…。

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上の文章では勿体ぶったような書き方をしていますがw、要するにこの映画の原田知世がとっても可愛いんですな…。これは、仕事場で別の先生(女性)とも意見が一致しました。加えて、「『私をスキーに連れてって』の原田知世も可愛いよ」との付言も。これは早速、観てみなきゃw そういえば、『天国にいちばん近い島』も僕は未見だった。こちらも、大林監督作品だった筈。まあ、そんな訳で、ちょっとした原田知世マイブーム(?)なのです…。

『時をかける少女』(Amazon prime video)
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