兵庫 義の闘い vol.2

vol.2

5月16日の勝谷誠彦応援団メールには、16日~19日に行う街頭演説と、阪神地域で行われる講演会のボランティア要請が書かれていた。しかも灘、垂水、西神、長田等の私にとっては勝手知ったるまさに地元!ではあったが、ケツカッチンの仕事を抱えた奥京都で島流し状態の私には動くことが出来なかった。

私は私なりに、応援団事務局(実質ヨロンさんやタイチさん)に気づいた事や、田舎マスコミの活用やセッティング、7月前半までの兵庫県内での祭り、イベント情報などのメールを送るなどしていた。孤軍奮闘のヨロンさんとタイチさんからはいつも深夜1時や2時にメールが届く。「事務所は大丈夫なのか?機能しているのか?」と、このころから一抹の不安を抱くようになった。

25日午後8時前、緊急メールが応援団から入る。
但馬地域の講演会ツアーに同行してくれるスタッフの募集だった。1カ所の応援だけでもいいとのメール内容であったので、これは相当ヤバイ状態なのか!?と感じ、メールを読みながら若い衆に電話し、仕事の段取りを立て直し、同時進行で応援団にメールした。すぐにヨロンさんから電話が入った。とにかくお願いしますと言う事で私も支度を始めた。が、26日まで20分を切った深夜12時前、
<ありがとうございます。
すみません。
明日の朝から来てくれる人が出て来ました。
でも、来ていただければ嬉しいです。
泊まるところもなんとかなると思います。>
とのメールが入った。

私の解釈では、「すんません!朝から同行してくれる人が見つかりましたので、もう結構です。けどまあ来てくれてもいいですよ!宿も何とかなると思いますよ!!」みたいな…。(笑)

私にしてみれば、この文脈では「押し掛けじじい」の類でしかなく、しかし来てくれたら嬉しいですとの「難解」な文脈を自分なりに「忖度」した。一旦はヨロンさんとの電話で、私のスタッフも仕事の段取りを変えてしまっていたので、私が行かねば緊急で仕事の段取りを変更してくれた若い衆や下請けさんにも申し訳が立たない(涙)ので、「恥ずかしながら」豊岡へローカル電車に揺られて向かったのでありました。
時折現れる山合いと田植えから間もない田園風景を織り交ぜて走る山陰本線を5駅過ごすと兵庫県に入る。いぶし瓦の立派な入母屋屋根や、時折「抜気」(ばっき)を備えた屋根も見える。その昔養蚕に使われていた建屋だろう。各集落に1~2軒は残っている茅葺きの家はそのほとんどが茅の上にトタンが葺かれてしまい個人的には残念でならない。
命の蠢きが始まる季節にあって、幼い稲に埋め尽くされる風景を観ると、どこか懐かしくウキウキした気分になるのは、やはり農耕の民である日本人のDNAに刻まれた原風景がそうさせるのだろうか。

豊岡駅前の会場に到着し、搬入口や会場を確認。施設管理の方と話し、設営の段取りをつけてご一行を待っていたが、なかなか到着しない。ヨロンさんに電話を入れるも応答はない。責任者であるタイチさんが到着しないと勝手に設営することもできない。
開演30分ほど前になって廊下を走るタイチさんが目に入った。移動距離が長く、通勤時間帯での移動だったための薄氷であった。

勝谷さんを含め総員全力で設営完了。勝谷さんの盟友花房観音さんも駆けつけて頂いて、なんとなくアットホームな空気で講演会は終了。

豊岡市が作成した心に響くポスターを見つけた勝谷さんがいたく感激していた。
私のような者が見ても、市民の「何気ない価値」を引き出していてなにかグッとくるポスターが並んでいた。
そんないい街にあっても講演会場を管理する方々は何とも言えない冷酷さで、事細かく「無益で無駄なルール」を指示し押し付けて来られた。もはや「迷惑なんですけど…」とのオーラをぶちまけながら、半径100mくらいにしか及ばない不毛な田舎役人ルールを次々とめんどくさく繰り出してくる仕事してるふり税金ドロボースタッフには薄っすら殺意すら覚えたが(苦笑)田舎で安定した収入を享受している方々にとって、勝谷誠彦は脅威でしかないのだなあと露骨に感じさせてくれた。
花房観音さんのトークや地縁もあって、講演会はとてもいい雰囲気で終わった。皆汗だくで撤収を終え、勝谷さんの「嗅覚」を頼りにスタッフ全員で晩飯へ向かった。

5月27日早朝。豊岡を出発、美方町へ向かう。
香住文化会館到着。かなり古い施設であった。染みた天井、壁紙。見た所耐震化工事など莫大な費用をかけてもドブに捨てるような施設だった。
これより各所で結構な負担になる事となる「椅子の設置」から設営を始めた。スタッフ全員で古ぼけたパイプ椅子を100脚ほど並べて行く。同時にステージ看板の設置、確団車や施設へのアプローチや動線に幟を立てて行く。
狭い市道を挟んで目の前の立派な香住区中央公民館では教職員組合の方々が集まっていた。すかさず勝谷さんに報告すると、即突入!!“ご挨拶”に向かう。(笑)
会場に戻ると、舞台の脇に埃をかぶり置いてあったアップライトのピアノを勝谷さんが物色しはじめた。おもむろに聞き覚えのあるクラッシックのフレーズや軍艦マーチを軽やかに演奏しはじめるではないか。スタッフ皆呆気にとられ、スゲ~!!と笑い合った。


午前10時の開演であったため来場者の数が気になっていたが、日本海側の小さな町にしてはそこそこの人数の方に集まって頂いた。そしてこの講演会をきっかけにピアノがある会場では、講演会終了時に北朝鮮拉致被害者の方々を想い「ふるさと」を勝谷さんが演奏するようになった。私はこれが苦手で、いつも演奏が始まると人目につかない所へ消えていた。ガラにもないのだが、込み上げてくるものを抑えきれずぼろぼろにされてしまう。
来場者の方を見送って、パイプ椅子を元通りに片付け、幟や注水台を撤収し、次の会場へ移動。
途中香住鶴の蔵元を訪問。しばし歓談の後、色とりどりに並ぶ極上の日本酒を目の当たりにしながら、「マテ!!」とおあずけを食った犬のごとく試飲の酒をグッと皆が我慢する。目の前を流れる矢田川の美しさにしばし心を洗われた。

1時間少々の移動。13時半ころ養父市の会場到着。
地域の動脈である国道から急な山道を登る事5分。こんな山の中に講演を聴きに来てくれる人などいるのだろうか?と不安になる。
駐車場から200mほど歩いて行くと広大な敷地をゆったりと贅沢に使って建てられた巨大な鉄筋コンクリート造のホールの威容が見えてくる。

兵庫県立但馬長寿の郷
https://www.choju.jp/

建物の仕様もデザインも贅沢だ。
駐車場から延びる長いアプローチに沿って幟を設置、手分けして備品の搬入を済ませ、ステージ看板設置、座り心地の良い椅子を会場に並べて行く。開演までの隙間時間で弁当を掻き込む。
まだ時間があったので何気なく施設案内の資料を読むと、今いる巨大な施設が豆粒ほどの大きさで書かれている。山間に点在して記されている施設の数々を目の当たりにして、これは只事ではない税金の垂れ流しの臭いを感じた私は見て回る事にした。

大ホールの脇に草木が茂る谷があった。よくよく見ると、一つ設置するのに数十万円は掛かるであろう庭石が谷のいたる所に置かれてある。数えた限りでも有に100を超えていた。開館当時は草木も手入れされ広大な谷に広がる石庭の威容は見応え十分だったのだろうが、今はただの荒れ果てた雑木林でしかない。その谷の淵を囲うように総ヒノキ造り瓦葺きの回廊が200m程続いている。その回廊を下って行くと、今度は巨大な茅葺き屋根が否応なしに見えてくる。私も茅葺きを葺く人間の端くれとして調べない訳にはいかなかった。

「養父市講演」で訪れた「兵庫県立但馬長寿の郷」の「無駄」について、
管理者に直接聞いた詳細と、建築の専門家としての概算等を書いておく。
まずはご覧ください。「ふるさと庵」

ふるさと庵

調べましたが、詳細な建築費等は分からなかった。普通の国民が発見できない所に隠されているのだろう。
この巨大な施設の事務所で県の職員であろう事務員に、この施設に関する資料を下さいと勝谷さんが言ったのだが、「今切らしています」と平然と言ってのけたのにはしばし呆気にとられた。

そこで講演会の間に、現場の人間である「ふるさと庵」専属の管理人に聞いた概要は、県の紐付き設計部門が設計。建物自体は中途半端な「田舎建て」で、私が請負するならば約4千万~6千万。
恐らくズブズブの公共工事なので約3倍の費用だと思われる。
屋根部分(茅葺き工事)
茅葺きに関しては見事な仕事ぶりだった。茅自体もたっぷりとふんだんに使っていた。一般の民家の葺き替え見積りで言うと、2500万~3500万はかかろうかと思う。
ところが、管理人曰く、全面葺き替えで1億円かかっているとの事。しかも10年に一度。
加えて数百万規模の補修、一部葺き替えを数年おきにやっている。
特殊な工事と言う事もあり入札は一切行っていないと言う考えられないいい加減さのようだった。
「交流の場」として使用していて、管理人一名、除草・メンテナンス担当のバイト、パート5~6名。
月単位の施設利用はおしなべてわずか「1日~3日」。
普段は、どこにでもある公民館の民族展示物程度の極めてチープな展示物しか置いてはいなかった。
メンテナンスを入れてちゃんと管理すれば2~30年は持つ屋根を10年とは・・・。しかもべらぼうな金額で・・・。あまりの杜撰さに怒りを通り越して呆然とするしか無かった。

ほぼ同規模の茅葺き建物
https://www.harimayahonten.co.jp/harimaya2/ecsite/PG「040MyPageEntry.act?pageNo=1030
かの有名な「おかきの播磨屋」の建物だ。

建築関係者も感心する見事な茅葺き民家を建て、有名観光施設としてぼろ儲けしている。
実際に、おくどさんで湯を沸かし、囲炉裏では広葉樹の薪が焚かれ、煙とにおいに包まれて食す蕎麦、甘味など食べ物も美味い。(実体験)
社長はどうもややこしいようですが、施設としては確実に「活きている」。
変った社長のこともあり「播磨屋」と言うワードは危険なのかも知れないが、「長寿の郷」と同じような建物が近隣の生野地域に民間の手で建てられ、「活きて儲けている」事実と、毎年数千万~億単位にも及ぶ税金を垂れ流し続ける愚の現実との対極をもっと大声で世の中に拡散せねばならないと強く感じた。
全て現職井戸知事がハンコを捺き、建設許可し税金を使って運営されている施設である。
併設されている温泉施設なども出来る限り見て回ったが、職員と講演会に駆けつけて頂いた方々の他にすれ違った人は15人にも及ばなかった。

自家用車かタクシーしか行く手段が無いこんな山の上の会場にもかかわらず、講演会は盛況だった。地域の医療を支え続けて来られた医師の熱い訴えとエールを勝谷さんに伝えていたシーンが印象的だった。切実な問題を抱え、社会正義を体現して来られたDrが語る県庁と地方の絶望的な乖離を知ると、絶対に勝たねばならない闘いであると尻を叩かれる思いだった。
来場者の方々もお手伝い頂き素早く椅子を片付け、チームワーク良く撤収し次の会場へ向かった。

80キロあまり、1時間半ほどの移動。宍粟会場山崎文化会館到着。
会場は25mプールほどの広さの2階会議室。1階のホールでは地元のブラスバンドが練習していた。
簡易ステージ、ステージ看板、受付、会場に100脚ほどパイプ椅子を設置。会場への導入路へ幟を設置と、もはや手練れの「イベント屋」へと成長を遂げた(笑)スタッフが段取り良く手分けしながら設営完了。
会場の天井高が低いこともあってか、熱気あふれる講演会であった。来場して頂いた若い夫婦の4~5才の娘さんを、受け付けの椅子ででA川さんとM子嬢が子守りしてくれていた。子供さんのおもちゃや絵本などもなく、手持ち無沙汰にしていたのを見て、手持ちのコンデジを渡して、先日撮影したキツネの動画を提供した。しばしの時間子供さんは興味津々で見入っていたが、脳が柔らかく吸収率も半端ではない子供さんにはコンデジの画像などすぐに吸収してしまったが、初めて見るキツネの動画に喜んでくれた。
会場の文化会館より徒歩圏内に住む私の従兄が嫁さんとご近所の方を連れて来てくれていた。5~6年ぶりに会ったのだが、バタバタしている私を見て挨拶もそこそこに帰って行った。その日の夜電話をくれて、講演会の感想や地域の問題を熱く話してくれた。
20時を過ぎ、勝谷さんがお一人お一人を見送る中、片付けを開始。会場を出発する時に、とっぷり暮れた暗い中で回収し忘れた幟に気づき、慌てて回収する。
この日の宿がある姫路駅へ約40キロ、1時間ほどを走る。
21時半を回り宿に到着。チェックインもそこそこに、部屋に荷物を置き次第フロントに集合!!との事で皆そそくさと集結する。フロントのお姉ちゃんお勧めの居酒屋を地図で確認する勝谷さんの指示のもと、若干地の利がある私は確認しながら5~6分歩いてお店に到着。

https://tabelog.com/hyogo/A2805/A280501/28047282/dtlmap/

4階には1部屋しかない、14~5人は入れそうな個室になだれ込んだ。
姫路おでん!播磨灘の刺身、せせりの塩焼きなどをアテに反省会開始。数時間後には「日記」を執筆せねばならない勝谷時間を気にしながらも、本人はと言うと、ほとんど日本酒など口にしたことが無いと言う美しき才女M子嬢を隣に、次々と素晴らしき日本酒を交わすのであった。またこの店のBGMは昭和歌謡や70,80,90年代の「おっさん達」には涙もの(笑)の素晴らしき歌の数々が流れ、ヨロンさんやA川さんも鼻歌まじり、時には合唱!となって一日の疲れを歌と酒に流して行った。他のお客さんとの接触が無いので、真摯な反省や様々なアイデア、企画、それぞれが知るとても大っぴらには言えない情報などを交換することができた濃密な時間であった。

この後、この部屋は「姫路の作戦室」として何度もお世話になることとなった。

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