明智小五郎をはじめて読んでみる ~面白い小説を見つけるために #4

赤座林です。
今日6/21は、夏至。北半球では、一年で昼(日の出から日没までの時間)が長い1日。ああ、一年も半分来たなあという感じがします。

さて、なかなか江戸川乱歩から離れられないのですが、今回でいったん最後にします。

本屋をぶらついていたら、乱歩の『怪人二十面相』が新潮文庫nexの新刊として棚に刺さっていた。タイミング良すぎだが、なにゆえに新潮文庫nex? ラノベ扱い?
あれ映画化があったんだっけと思ったが、そうでもないようだ。解説は辻村深月。
前にも言ったが、わたしは乱歩の作品をまともに読んでいない。なのに乱歩関連の本はある。積ん読癖であります。
 
この際だからというものあって、棚から抜き出してみた。
一読、ミステリにはとんと疎いわたしでもだいたい先読みできる仕掛けだったが、怪人二十面相は絶対悪、とんでもない悪役ヒーローというわけでもない。
でもキャラクタ自体がうまく書かれていないなという感じ。ぼんやりとした造形にとどまっている。ミステリというよりは、アクション物に近い感じがした。
『怪人二十面相』については、集英社文庫から刊行されている「明智小五郎事件簿シリーズ全12巻」にも収められている。このシリーズ、明智小五郎の登場順、つまりは編年体的に作品が組まれている。明智小五郎がどのように登場しどう変遷していったかが解る、いい企画だと思う。
そのラインナップからすると、『怪人二十面相』は9(Ⅸ)巻目にあたるので、後期作品になるようだ。
そこで、明智小五郎の初期の姿を知りたくて、このシリーズの第1巻「D坂の殺人事件/幽霊/黒手組/心理試験/屋根裏の散歩者」も読んでみた。
『怪人二十面相』で登場する、満洲帰りの明智小五郎の颯爽さとは打って変わって、「D坂の殺人事件」ではモジャモジャ頭を引っかき回すのが癖で、いつも木綿の着物にくたびれた兵児帯(へこおび)という姿だ。この姿は、横溝正史がつくった探偵・金田一耕助に引き継がれているように見える。
「D坂の殺人事件」は、目撃証言の危うさ(信憑性のなさ)を、海外の事例をひいて巧みに解説しているが、なるほど「探偵が論理的に推理して、意外な犯人をあてる」という本格ミステリのさきがけの作品のだろう。ややペダンティックに感じられるが瑕疵ではない。むしろ、意気込みとして見るべきだと思う。
さて、この明智像が最終的にはどうなるのか、12巻目を見てみたいところだ。
話はさきに進む。
家の本棚でさらに乱歩の本を漁っていたら、三鷹の森ジブリ美術館の企画展示「幽霊塔へようこそ 通俗文化の王道」のパンフを見つけた。以前出かけたときに入手したものだ。
『幽霊塔』というのは、1937年乱歩の作品で、
叔父に屋敷の検分を頼まれた光雄は、屋敷に設えられている時計塔の一室で謎の女・野末秋子と運命的な出会いをする。
光雄は、我が儘な許嫁の栄子より、謎が多くとも凛とした秋子に次第に惹かれていった。ある時、その屋敷の中で怪事件が頻発し、光雄はその事件の渦に巻き込まれていった。
事件の根源は過去にまで遡り、次第に彼は秋子の過去、そして時計塔の秘密に肉薄していく。(江戸川乱歩版、ウィキペディアより)
とある。
パンフの最後に、企画した宮崎駿は自らを戯画化したキャラクタにこう言わせている。
みたまえ。
幽霊塔は十九世紀からつづいているんだ(「幽霊塔」はアリス・マリエル・ウィリアムソンの小説『灰色の女』を基にした黒岩涙香の翻案長編小説という前身があり、さらにその黒岩版を乱歩がリライトした。そのことを指している。引用者註)
十九世紀にはまだ人間はつよく正しくあれると信じられていた。
二十世紀は人間の弱さをあばき出す時代だった。
二十一世紀はもうみんな病気だ。
ワシは子供の時代に乱歩本で種をまかれた。
妄想はふくらんで、画工になってからカリオストロの城をつくったんだ
文化というのは、かくも大きな流れをつくっている。
それは解るのだが、江戸川乱歩にわたしは傾倒しなかった。(つづく)