かつてのニューヨーク、再読

02 日記
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そしてまさに、あらゆる努力を注いで、、あなた方の信仰に徳を、徳に知識を、知識に自制心を、自制心に忍耐を、忍耐に敬虔を、敬虔に兄弟愛を、兄弟愛に愛を提供しなさい。(ペテロ書簡、第二:5-7)

 

スコット・フィッツジェラルド『ある作家の夕刻 フィッツジェラルド後期作品集』(村上春樹編訳、中央公論新社)を読む。

作家村上春樹が愛してやまないアメリカの作家による、1930年代の作品群を、村上自らが訳したものだ。村上は、『グレート・ギャッツビー』をはじめとして、自身の作家デビューのときからフィッツジェラルドの作品をこれまでも多く訳してきた。

『クレイジー・サンデー』『アルコールに溺れて』『失われた十年』など、死の予兆を孕んだ作品たちを改めて読めるのはうれしい。この本では短編小説だけでなく、エッセイも訳され収録されており、あの「私の失われた都市」(以前の訳では「マイ・ロスト・シティー」)をはじめとしていくつかの作品は訳し直されている。

今回、ぼくは数年ぶりに「マイ・ロスト・シティー」を読み直すことになったのだが、いささか甘ったるい印象のある旧訳は、なんとなく細部のネジが締め直されている感じがした。

冒頭の一段落を新旧訳で比べてみよう。

まず旧訳。

朝まだき、ジャージーの岸辺を離れ、静かに進みゆくフェリー・ボートがまずあった。幼い日のその一瞬が結晶し、私にとってひとつめのニューヨークの象徴となった。

次に新訳。

まず最初に朝まだき、ジャージーの岸辺を静かに離れ行くフェリーボートがあった。その瞬間が結晶化し、私にとってのニューヨークの最初の象徴となった。

これだけでは正直まだ何とも言えないだろうが、《よりこなれた、正確な訳にしたかった》という。

本書のために僕が選択して訳したのは主として、彼が文字通り自らの身を削って生きてきた、薄暗い時代に生み出された作品群である。しかし、そこには、深い絶望をくぐり抜けようとする、そして微かな光明をなんとかつかみ取ろうとする前向きな意志が垣間見える。それはフィッツジェラルドの作家としての強靱な本能だったろう。自己憐憫や自己韜晦を凌駕するだけの力を持つものだ。(「訳者あとがき」より)

華やかな二十代から一転して迎えた、三十代半ばの不遇の時代。そこで書かれた作品たちを、静かに味わいたいと思う。

そして、コロナ禍が容赦なく襲いかかっている彼の地のことを思いながら。

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