ぼける
昭和の終わり頃イタリアに来てから、この間書いたように、何年も日本語とあまり接触のない時期があり、インターネットのおかげでやっと最近、日本で今現在書かれている文章が読めるようになったのだが、そうして数年前インターネットで日本語を読み始めた時に、意味のわからない言葉が時々あるのに気づいた。意味がわからないのは、日本にいた時にはなかったからで、要するに平成の時代になってから出来た新語である。
一つ例をあげれば、「アラサー」というのをネットで時折見たが、かなり長い間意味が全くわからなかった。ある時思い付いて、グーグルで意味を検索してみたら、語源から何から詳しく解説してくれている記事が出てきて、やはり他にも知らない人がいるのだとうれしくなった。
もうひとつの例は、これはネットではなく、実際に使われているケースだが、日本に行った時に、何かの用事をしていて姓名を訊かれた時、相手に「下のお名前をいただきます」と言われたことがあった。「下の名前」という表現はその時初めて聞いたので、一瞬なんのことか分からなかったが、状況から判断してすぐ意味が想像できたので、聞き返さなくても答えることができた。この言い方は、ひょっとして昔からあったのかもしれないが、少なくとも京都では、私のいたころには全く使われていなかった。
それでも、平成の新語の代表格は、なんといっても「認知症」ではないかと思う。私が日本にいたころには、この言葉は存在しなかった。今なら「うちのおじいちゃんにも認知症の症状が出てきた」と言うところを、昔は「うちのおじいちゃんもぼけてきた」と言った。老人に起こる病的なぼけに関して、アルツハイマーという言葉はもう知られていたが、あの頃はアルツハイマー病に起因しないぼけでも、医者でない一般人は一括りにアルツハイマーで片づけてしまう傾向があった。つまり、アルツハイマーによらないぼけをも含めた、認知症全体を表す言葉は「ぼけ」しかなかったわけで、それでは余りに差別的だとして、認知症という言葉が作られたのだろう。もっとも、関西では「ボケ」というのは結構気軽に使う言葉だから、私はあまり差別的なイメージを持っていないし、個人的には「ぼけ」という言葉を使い続けるつもりなのだが。
とにかく、「認知症」と言う新語は、まさに切実に必要とされていたから作られたわけで、「アラサー」などとは必要性の度合いが完全に違う。毎日、新聞を読んでいて、「認知症」という言葉を目にしない日はない。
さて、私の父は満九十歳で、京都のある施設にお世話になっているが、ぼけが年々ひどくなっている。一番最近では今年の二月に会いに行ったのだが、一週間ほどの滞在の間、ほとんどの日はうつらうつらしていて、あまり会話が成り立たず、一日だけ意識の明瞭な日があって、その日には自分が今どんな状態かということを、詳しく話してくれた。
娘である私のことは、会ってわかるどころか、娘があることすら忘れてしまったようなので、日本滞在中、毎日施設に面会に行く度に、私が何者なのか、説明しなくてはならない。それでも、私が家族であるということはどうもなんとなく感じているようで、見知らぬ人に接する態度ではない。この日は、私の顔を見ると、溜まっていた愚痴を吐き出すという感じで、自分の状態を描写し始めた。
つまり、何もかも忘れてしまって困っている、と言うのである。自分が何を忘れたかすらも、忘れた。今自分がどこにいるのか、どうしてここにいるのか分からない。(自室のドアを指して)あの扉の向こうに何があるのかも、覚えていない。(こう言って父は立ち上がり、ドアのところに行って、ドアを開けて外を見ようとした。ゆっくりだが、まだ自力で歩行はできるのだ。)窓からどんな風景が見えるかも、覚えていない。自分の小さい時のことは少し覚えているが、それから後のことは全部忘れた。もちろん、ほんの少し前のことも覚えていない。だから本当に困る。
実際、質問してみると、本当に、一生にあったことを全部忘れてしまったようだ。父は、大阪で生まれ、学生時代からあとはずっと京都で過ごしたから、京都は六十年以上になるはずだが、どうも自分はまだ大阪にいると感じているようだ。七人兄弟の三男だったが、年の離れた叔父の名を出しても反応がなく、すぐ上の兄とすぐ下の弟の名前だけに反応した。
これだけ全部忘れてしまって、それでも日本語だけは忘れていないのが面白い。父は、大学教授だったので、研究者らしく、ゆっくりと、論理を明確に、言葉を選びながら話す。その話し方は変わっておらず、だから自分の状態を他人に説明する言語能力はまだ持っている。
父の身になってみれば、空間・時間に関する記憶が全部なくなって、前後左右・過去未来が灰色の世界に、一人でぽつんと生きているわけで、ただその状態を客観的に認識する能力はまだ残っているのだから、本当に辛いだろう。
私にできることといっては、その時の愚痴を聞いてやることしかできず、力付けようにも、父は一分も経たぬうちに力付けられたことを忘れて、また最初からの繰り返しになる。本当に、これでは長生きすることが良いことだとは、とうてい思えない。
と、ふと思ったのだが、もし私が将来ぼけたら、私はいったい何語を話すのだろうか。ぼけたらインターネットで日本の新聞を読んだりはしないだろうし、周りで世話をしてくれる人は(そんな人がいたとして)皆イタリア語で話すだろうから、日本語を忘れてイタリア語だけになるのだろうか。それとも、父のように幼年時代以後のことは皆忘れてしまって、イタリア語も一緒に忘れてしまうのだろうか。私が日本語オンリーになったら、世話をしてくれる人は皆さぞ困ることだろう。
確かアメリカの『タイム』で読んだ記憶があるが、バイリンガルの人はアルツハイマーの到来が3、4年遅れるという、たいへん心強い研究があるそうだ。どうか、なるべく長い間ぼけずに、ぼけそうになったら何かの病気でさっさと死ねますように。