「イタリアのスターリングラード」墜つ
私の住んでいるセスト・サン・ジョヴァンニ市は、以前書いたように、ミラノ北東の衛星都市である。共産党が強く、戦後72年間市政が共産党、及び共産党が党名を変えてからは、そのあとを継いだ左翼民主党などに握られてきたという歴史を持つ。
二十世紀初頭から、この辺りには鉄鋼・機械工業の工場が集中し、住民の中での工場労働者の割合が高かった。ファシズム政権末期、イタリア北部工業都市一帯に大規模なストライキが生じたが、この辺りの労働者もその一員だった。1943年に、ムッソリーニが放逐されると、北イタリアはドイツ軍の直接の占領下に置かれたが、労働者たちはレジスタンスのグループを各工場で結成し、ストなどを通じて占領軍に抵抗した。
多くの犠牲を伴ったこのファシズム・ナチズムへの抵抗のために、セスト・サン・ジョヴァンニ市は、「イタリアのスターリングラード」のあだ名で呼ばれるようになる。
戦後のイタリア共産党は、レジスタンスの強かった所に基盤があったから、戦後長い間、セスト・サン・ジョヴァンニ市は、ボローニャなどエミリア・ロマーニャ州の諸都市と並んでイタリア共産党の牙城だった。しかし、さすがに近年はその勢いが衰えてきた。その原因は、まず第一に、1980年代から90年代にかけて、工場が次々と閉鎖され、工場労働者ではなく、勤め人や自営業者の町に変わっていったこと、それから共産党の名を捨ててからの、党自体の「迷走」も大きいだろう。それでも、五年前、2012年の地方総選挙では、共産党の跡を継いだ民主党の候補が楽勝したのだった。
ところが、今年の六月に行われた、市長・市議会の任期切れにともなう選挙では、左派の危機が言われ、実際第一次投票では、前職の民主党の候補は31パーセントで一位を取ったものの、二位には右派の主要な党に支持されたロベルト・ディ・ステファノが26パーセントで付けていた。
第一次投票で誰も50パーセントを超えなければ、上位二人で二週間後に決戦投票になる。決戦投票までは、相当レベルの低い中傷のやりとりをも含めた激しい争いがあった。左右の真正面からの対決となり、全国的にも注目された。
民主党の市政には、長期政権によるたるみがあったことは否めない。会社の同僚に、お父さんがファルクの工員だった人がいる。ファルクというのは昔イタリアで一番大きかった製鉄会社で、セスト・サン・ジョヴァンニに広大な工場を持っていた。1945年、イタリア解放の時に、敗走していくドイツ軍に工場の機械を破壊されるのを防ぐために、工員達が工場に立てこもって機械を守った、ということがあったそうで、彼のお父さんはまだとても若い工員だったが、その立てこもりに参加した、という話を聞かせてくれたことがある。そういう彼だから、親の代からの生粋のコムニスタである。
ところで、このイタリア語のコムニスタという言葉は、英語のコミュニストと同じ言葉であるが、ずいぶん語感がちがう。コミュニストというと、がちがちのマルクス主義者という感じだが、コムニスタというのは、特に1991年にイタリア共産党が共産党の名前を捨てる以前は、単に「イタリア共産党の支持者」くらいの意味で使われていた。だから、私がイタリアに来た頃は、共産党の強い地域では、この人もあの人もみんなコムニスタ、という感じだったのだ。
さて、この生粋のコムニスタの同僚は、「今回はディ・ステファノに投票する」と決戦投票の前に宣言して、私を驚かせた。理由を尋ねてみたら、彼はまず清掃の問題をあげた。道路や公園の清掃ができていない。次に、保守。彼の家の近くに瀟洒な、ちょっと中世都市の雰囲気を真似したような広場があるが、舗装の敷石が浮き上がって、がたがたしているのに、修理がされていない。
決戦投票の前の日に、美容院に髪を切りに行ったが、そこの経営者も似たようなことを言っていた。「セストの街がだんだん薄汚くなっていくのを何もせずに見ている訳にはいかない。ディ・ステファノはセストの問題をよく知っていて、解決しようとしている」と。だから、決戦投票の前から、多分ディ・ステファノが勝つのではないか、という気はしていたのだ。だが、決め手となったのはなんといってもモスク建設問題であろう。
セストには、工場が閉鎖されたあとの広大な空地がいくつもあり、その中にはまだ、再開発の計画が未定のところもあるのだが、前職の市長は、その跡地の一つにモスクを建設する計画を立てたのだ。それも、ただのモスクではない。北イタリア第一の規模の、二千五百平方メートル、四千人収容可能のモスクに図書館などが附属して、イスラム総合カルチャーセンターの機能を果たすモスクである。
現在セストには、モスクがあることはあるが、プレハブの小屋のような建物である。そんな所でお祈りしなければならないイスラム教徒たちが、イタリア社会から疎外されているという感情を持ち、急進的になり、さらにはテロリズムに近づいていく危険がある、きちんとしたモスクでお祈りができるようにし、さらには穏健なイスラム教を後押しして、彼らをイタリア社会の中にとりこまなければならない、それが効果的な移民対策となる、という左派の発想は理解できるし、崇高な理想主義だといえよう。それでもセスト市民の正直な気持ちは、「なんでわざわざセストに?」だった。今でさえもアラブ人やアフリカ人が増えすぎている感じなのに、大モスクができたら、イスラム教徒はミラノや近辺の諸都市からどんどんやって来るだろう。人種差別的なことを公然と口に出すのははばかられるから、口に出しては言わないが、親の代からのコムニスタでも、やはりモスクだけは嫌なのだ。
決戦投票では、右派のディ・ステファノが59パーセントを取って新市長となり、「スターリングラードが墜ちた」と、全体的に右派の勝利であった今度の地方総選挙の、ひとつの象徴のように言われた。モスク建設案は、それから一ヶ月も経たないうちに市議会で廃案への第一歩となる議決がなされ、市長は百日以内に廃案を決定的にすると約束した。。
それだけではない。四十歳になったばかりのこのエネルギーあふれる新市長は、これまでのタブーを破る新政策をどんどん実施していくのだが、長くなるのでそれは次回にしよう。