一年を八ヶ月で暮らすイタリア人
さてさて、前回の更新からなんと六ヶ月が経ってしまった。去年は、十月になった途端いきなり猛烈に忙しくなって、せめてクリスマス休暇に更新しようと思っていたら、インフルエンザで休暇中はずっと寝込んでしまい、何もできなかった。どうしてそんなに忙しいかというと、十月には毎年突然仕事が忙しくなるのを始めとして、趣味でやっている声楽のレッスンと、合唱の練習も、夏休みが終わり十月に新年度が始まったので、会社を出てから家にまっすぐ帰れる日が少なくなってしまった。たまに家にいられる時には家事を集中してこなさなければならない。その上、大学の授業も十月に始まって、息子がなんと弁当をつくってほしいと言い出した。学生食堂がちゃんとあるのに、と言うと、食堂は遠くて十分も歩かなくてはならない、クラスメートは誰も食堂に行かないので、食堂に行ったら一人ぼっちで食べなければならない、他の人はみんな家から何か持ってくる、と言う。これは、小学生の頃から彼のよく使う(というか、子供はみな使う)、「みんなそうだからぼくも」の手だと思って、本当にみな弁当を大学に持って行くのか、同僚で息子が同じ大学に通っている人に聞いてみた。すると、なんとその人の息子も弁当を持って行くのが普通だというので、仕方がないと諦めて、それからは毎日五時に起きて弁当を作っている。だから夜は夕食を済ますともう眠くて、ベッドに直行することしか考えられない。
小中高の学校の夏休みは、六月十日頃に始まって、九月十日頃に新学年が始まるのだが、九月中はまだ天候も良いし、なんとなく夏休み気分が残っていてのんびりしている。ところが十月になると、突然ダッシュがかかって、ビジネスも学校もいきなりリズムが速くなる。このダッシュは、クリスマス休みの休憩をはさんで新年にも続き、やっと復活祭の頃ゴールが見えてきた感じで、五月はもう息絶え絶えで最後のがんばり、六月になるともう休みのことしか考えていない、というのが北イタリアの一年のリズムではないだろうか。日本の人が一年ですることを、十月から五月までの八ヶ月間でするわけで、それはそれでずいぶんしんどいことである。
今日は日本語で言うと「枝の主日」、復活祭の一週間前の日曜日である。この祝日は、ロバに跨ってエルサレムに入場するイエスを群衆がヤシの枝を手に持って迎えたのにちなむもので、日本のカトリック教会ではミサに行くと祝別したヤシの葉をもらえたが、こちらではヤシではなく、オリーブの枝を配っている。このオリーブの枝は、家に持って帰って保存しておくものらしい。
私の育った京都の大文字山の麓の地域では、お盆の大文字送り火の翌日、山に登って燃え殻を拾い、それを半紙に包んで家の中に「厄除け」として一年間、次の年の送り火までぶらさげておくという風習があった。それと少し似ている。