かつやとおれ。

かつやさんのメルマガのバックナンバーが全て公開されるようになったので、昨年5月18日から、毎日その日付の過去13年分を読むという苦行(笑)を自分に課している。この重い十字架を背負って半年過ぎたが、2500日近い日記をすでに読んだ。毎日時間を見つけては読んでいるが、少なくとも1日二時間はかつやの日記に費やしていることになる!

有料メルマガが開始したのは2007年1月だが、この年、私は中学に入学した(私がメルマガに登録したのは2017年ですね)。中学生になれば、賢い子どもたちは新聞を読んでニュースに関心をもつ、というよりも、そうあればよかったというのが心のどこかにあって、長年一種の後悔になっていた。そういうのを克服したいのもかつやのメルマガに登録した理由の一つだ。

そこで!今は全部読めるので、一年間私のやり方でかつやさんの日記を読めば、私が中学1年生から25歳の青年になるまでのニュースに一通り目を通せることになる。それだってダイジェストだけど、どこで妥協するかなんで、僕はかつやさんの日記で自分の人生に折り合いをつけることにしたのだ。

私は昔からいつも面白いことを思いつこうと生きてきて、冗談しか言ってないのだけど、世の中をナナメから見られることに常に憧れがあった。その技術を身につけるのにも、かつやさんの文章はいいですね。日常、それってどうなの?と引っかかることはたくさんある。たとえば給料日にatmに並んでお金を下ろしたり、ブランドにあこがれたり、食べ物屋に並んだり。そういうモヤモヤをうまいこと言葉にして粉砕してくれたのはかつやさんの偉業だ。かつやさんの日々の日記を追体験すれば、私の人生で遭遇しうることの多くをバーチャルできる?こういうのが教養なのではと思ってる。

一年読めば1日13日分も読む必要はなくなって楽になる。なかなか辛いです。今は正直読むだけで精一杯で裏を取ることもあまりしてないのだが、キーワードや知識の断片が脳にひっかかりとしてあるので、新しいニュースから、脳にひっかかりとしてある断片を連想した際に、キーワードを元にかつやさんの日記に再び戻ったり、詳しく調べることで、理解の一助としたい。かつやさんはメディアの寵児だったけど、そういう人ってのは毀誉褒貶あるじゃない。でも批判する人はかつやより世の中のことなわかってるといったらほとんどの人はそうじゃないわけで。かつやをコピーできるようになったらそうとう賢い人として通用する。だからかつやから日々吸収しているのだ。かつやさんが亡くなった今、日替りでいろいろな方が執筆しているけど、花房観音のコラムが好き。ちなみに天国のいちばん底はまだ読んだことがない(笑)。でもかつやさんみたいに死んだ後、その作品を読むことで、その人は永久に残るっては理想じゃないですか。かつやさんも生前よく書いていましたね。

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