【旧東海道 品川宿】の周辺を初めて歩けて嬉しかったです!!

国道15号線沿いを歩いたことしかなかったので とても新鮮で感動いたしました…

【旧東海道 品川宿】へ向かう時、京急品川駅近くの踏切が”開かずの踏切”というのを知ることもできました…
品川から海沿いの道を一度も歩くことはなかったので、『東海道 通し歩き』に参加しなければ、ここら辺に【品川宿】があったということも知らないままだったのでしょう。

北品川駅〜青物横丁駅に渡って ずっと続く商店街が旧東海道であり、品川宿があったのだな…
ガイドさんが「この道を坂本龍馬や勝海舟が闊歩していたんですね…」と。

参加されている方が「この道幅が東海道って感じがする」と話をしていて、
なるほど!! そうえいば、生麦の旧東海道も同じような道幅だった氣がします。
問答河岸跡】三代将軍徳川家光と沢庵和尚、禅問答の碑

【品川宿本陣跡】公家などが休息や宿泊するところで品川宿には初め南北品川宿に一軒ずつありましたが、 江戸中期には北品川宿のみとなりました。
今では公園になっていました(聖蹟公園)

【江戸幕府御用宿 釜屋跡】慶応3年10月21日(1867年)に新撰組副長の土方歳三等が訪れた記録が残っており、翌4年1月15日(1868年)には鳥羽伏見戦から江戸に戻った新選組隊士たちがしばらく滞在しました。
土方歳三も滞在したそうで、またもや、氣になっている『新選組』というワードが現れて驚いた次第です。

品川寺(ほんせんじ)】の3m近くある地蔵菩薩様に一時、ウォーキングの疲れを癒やして頂きました!

「東海七福神」のうちの『弁財天(笠島弁天社)』様が祀られている『磐井神社』様にお参りさせて頂きました。
非公開の鈴石、烏石を神主様の計らいによって拝ませていただくことが出来て有り難かったです!!

子だくさんの狛犬様もいらして、明治時代は「生めよ増やせよ 」が世間の風潮であって、それが狛犬の世界にも影響しているのかと。。。

【磐井の井戸】東海道往来の旅人に利用され、霊水又は薬水と称されて古来有名である。
この井戸の水を飲むとき、心が正しければ清水、邪心があれば塩水、という伝えがあります。

鈴ヶ森刑場跡】ずっと氣になっていたものの、なかなか行く機会がなかったんですけど、手を合わせることができました。
火炙り柱用の礎石、磔用の礎石などがあった、なんとも言えない気持ちになりました。

【2023年1月30日(月)】
京急に乗って品川に向かっている時、平和島から立会川、青物横丁、北品川と走っていく際に「あ〜〜 こんなにも歩いたんだなぁ〜」と感慨深くなっちゃいました…
そして、今日はなんと、京急線の中から【東京タワー】様を5回も見ることが出来てハッピーでした\(^o^)/
佳き一粒万倍日となりました!!

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