亡くなったねこを、庭の片隅に埋葬した。こうしてまた、これからもずっと、皆んなのそばにいてくれるのだ…

きのうの晩は、見事な上弦の半月だった。ニコン P900を手持ちで一発撮り。クレーターがびっしりと写った。

半月は、別名「片割れ月」。柿本人麿は「逢ふことは片割れ月の雲隠れ…」と詠んだ。会いたい人に会えない心情を表現したものなのだそうだ。この夜、僕たちも、もう生身では会いたくとも会えなくなった「ちいーちゃん」を埋葬したのである。

それから、夜空を引きで撮った写真。こちらは、山羊座の中に月が浮かんでいる様子。γ星やδ星が左上に写っているのが見えるだろうか?更に左側には、火星が明るく佇んでいる。

さて、夜になり、息子が学校から漸く帰宅した。自習室でずっと勉強していたのだそうである。前回書いた通り、僕は夕方、うちの庭に縦横深さ50cmくらいの穴を掘っておいた。
ここにそのまま埋葬してやれば、自転車置場から「ちいー、行ってきます」や「ただいま」が言えるし、ベランダからもよく見えるよ、という話を息子にした。すると、すぐに理解して、じゃあ火葬ではなくて、それで良いよ、と言ってくれたのである。

かみさんも娘も、庭に埋葬することには元から賛成だ。これで心置きなく、ちいーを敷地の片隅に葬ってやることが出来る。朝のうちに、かみさんが亡骸を段ボール箱に入れておいた。それから、あとでお花を買って来て、箱の中に並べてくれたのである。

埋葬にあたって、その箱を息子がリビングから庭まで運ぶ。僕は、息子とふたりで持とうかと思っていたのだけれども、息子がさっと手を差し出して、ひとりで持った。きっと、自分が持つ役目だ、と自覚していたのだろう。

前回の投稿でも掲載した、パネル入りのちいーの写真。これは、以前どこかの百貨店でねこ写真の催し物をやったときに展示したものなのである。僕が撮った写真を大きく引き伸ばして貰ったのだ。

皆んなで庭に出た。まず、掘った穴の中にタオルを敷く。そのようにした方が良いということを書籍やネットの記事などで読んだ。そのタオルは、僕が使っていたものである。また、亡骸の方には、息子のバスタオルを巻いてある。
息子が、固く冷たくなったちいーを箱から出し、穴に横たえた。その上に、消毒と防虫のために石灰を撒く。これによって、ちいーの亡骸は、まるで白装束に包まれたようになった。

そして、皆んなでお花を一輪ずつ置いていった。口の辺りには、ドライのキャットフードをパラパラと置く。フードを買うのはいつも、僕の役割だった。僕はちいーの味の好みをひと通り把握していたのである。

そして、息子がシャベルで土を被せていった。これも、僕が自分でやろうと思っていたのに、いつの間にやら息子が軍手をはめてシャベルを持っていたのだ。だから、埋めるのは全て任せることにした。頼もしいことである。

最後に、残りの花を供え、息子と娘が土を均して固めた。「この上に、樹を植えて樹木葬にしようか?」とか「良いねえ。何にしよう。柑橘系は、ちいーが苦手だったからやめておこうw」とか、自然に話が弾み始める。

こうして、形は変われども、ちいーはまた僕たちのそばにずっといることになったのである。家の中へと引き上げる際、「庭のあるおうちで良かった…」と、ふと娘が漏らした。


一夜明けて、2階のベランダから、埋葬した場所を撮影。こうして、いつでも眺めることが出来るのは、幸いなことだ。ここに埋めてやって、本当に良かったと改めて思う。

そのうち、周囲にぐるりと可愛い柵でも立てて、花壇のようにしてみようか、と思い立った。名付けて「ちいーのその」。ちいーのそのそ…ではないw ちいーの花園なのである。
そうやって、小さいながらもメモリアルガーデンを作ってみよう。50cmの地中深くに葬ったので、根っこが躯に挿さるようなこともあるまい。

むしろ、ちいーは花の姿を喜んでくれるだろう、と思う。プランターの植物の葉に頬を擦り寄せていたときの、ちいーの姿を思い出す…。そんなときにはいつも、青い目を細めていたものだった。

ちいーは乳飲み児のときに、箱に入れられ、雨の路傍に捨てられていた。酷いことをする人もいるものだと思うけれども、そのお陰で僕たちは、可愛らしく素晴らしいねこをこんなにも長く飼うことを得たのだ。
捨てる人がいなければ、拾うこともなかった筈である。巡り合わせとは、実に不可思議なものだ。何が幸か不幸か、人にも結局、よく解からない…。

……

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