きのうの満月を撮った。黄色っぽい月なのだ。あと天才鬼才指揮者テオドール・クルレンツィスの新作CDについても…

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きのうは、緊急事態宣言が出て早々ではあったけれども、都内の会社へ仕事に行った。インフラに関わる事業なので、お休みしていられないのである…。

電車に乗ると、1〜2月頃と比較して、行きも帰りも4分の1くらいに乗客は減っただろうか。それでも、スーツ姿のサラリーマン等、通勤と思しき人が殆どだ。
仕事場近くの駅前は、パチンコやカラオケなど幾つもの店舗が休業していたためか、以前のような賑やかさが無かった。何と言うべきか、静寂と落ち着きのある街へと化したかの様である。僕は、この方が好きだw

さて、この日は、ニコン P900を持参して行った。満月を撮ろうと考えたためである。月の出から約2時間後の午後8時半頃は、仰角高度がまだ25度ほどだった。
そのせいで月面が随分と黄色っぽい。そうではなくて、ただ単に、都内の空気が汚れていただけのかも知れないけれどもw(いや、冗談)

今回も含め、ここ数ヶ月はずっと、十六夜(いざよい)の満月だった(1月だけは十六夜ではなく十七夜の満月だった)。それも今月で一旦お仕舞い。
来月から、通常通り(?)十五夜の満月へと戻る。再び十六夜の満月になるのは10月になってからだ。僕には、この日の満月の、そんなところもまた興味深いのである…。


さて、一昨日のことになるけれども、4月8日に発売されることになっていた天才鬼才指揮者テオドール・クルレンツィスの新作、ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」のCDが1日早く届いた。早速、開封した。

タワーレコードの細長い段ボール箱を開けると、伝票と共にハガキが出て来た。CDのジャケットと同じデザイン。先着の購入特典のようだ。

第5番は、このように白のイメージで攻めているけれども、秋発売予定の第7番は、さて何色になるのだろう?モノトーンがお好きらしいクルレンツィスの傾向を考えるに、そちらはやはり黒だろうか?w

ブックレットを開くと、思った通り今回もあった。ライナーノーツが日英の両語で掲載されているのだ。あとでCDを聴きながら、いずれもじっくりと読もう。気になった箇所については、以前と同様に私訳を試みるつもりである。
この天才鬼才指揮者の深く透徹した言葉を原文で解釈できるというのは、CDを鑑賞することと同じくらい、僕には毎回喜ばしく感じられる。例えるならば、新約聖書の本文をギリシア語原語で読み解くようなものだろうか。

(そう言えば、クルレンツィスはギリシア人だったなあ…ロシアを拠点に活躍しているので、どうもその印象が薄いけれども)


さてさて、このCDのブックレットに載っている、クルレンツィスのライナーノーツを読んでみた。これまでのように、日本語の翻訳は概ね良いんだけれども、相変わらずテキトーに訳出している箇所が散見されるw

今回、訳者の方は、inでもtoでも前置詞の意味に困ったら用法を取り敢えず無視して、「…として」と訳してしまったようだ。そのような癖がおありなのだろうか…?
そして、その訳文に辻褄合わせのような内容を与えてしまう。この様なごく基本的な事柄でも、もうちょっとよく調べてから書いて欲しいものだと思うのだ。

さて、僕が和訳してみたところは下の2箇所。クルレンツィスの文章は一文がやや長く、且つ形而上学的なコンテクストも含んでいて、読むのに難しいことがある。
それでもよくよく噛み含んでから考えてみれば、マエストロが言わんとするところは自ずと理解できる筈だと思う。そして、文意を損なわない程度に、センテンスを出来るだけ区切って訳すのがコツなのだ。

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The music of Beethoven exists inside ourselves in an ornamental, iron, existential costume, built monumentally for the cosmogonic needs of the 20th century.

ベートーヴェンの音楽は、我々自身に内在する。そして、我々自身は、装飾的で、鉄のように頑丈で、実存的でもある衣装を纏っている。また、その衣装は、20世紀の宇宙発生論的な必要性のために途方もなく作り上げられたものなのだ。(私訳)
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上は、原文1ページ目の2段落目からの抜粋と僕が和訳したもの。ourselvesの後のinは、所謂「着用のin」と言われるもので、「〜を着て」「〜を身につけて」というような意味を表す筈である。
ところが、ブックレットの訳者の方は、このinを「〜として」と訳してしまっている。確かに、inという前置詞にはその意味もなくはないのだけれども、このくだりは明らかにcostumeのことを述べているので、やはり「着用のin」で解釈すべきだろうと思う。

下は、原文3ページ目の上段から抜粋。

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My only desire for this recording is to bring to the music dramaturgy of the Fifth Symphony the so called κάθαρσις* in all possible states, starting from the physical state of metronome and form, to the spiritual state of “music not to be found in the notes”.

私がこの録音に求めている唯一の願望は、第5交響曲の音楽的な演出法に対して、可能な限り全ての状況下で所謂カタルシス*をもたらすことだ。それは、メトロノームや様式という現実的な状況から始まり、「音符の中に音楽を見つけるべきではない」という精神的な状況にまで至るのである。《* κάθαρσις:「(精神の)浄化」を意味するギリシア語》(私訳)
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ここでも、ブックレットの訳者の方は、bringの後ろにあるtoを「〜として」と訳しておられた。多分、この文の構造を読み取ることが出来なかったのだろう、と思われる。訳文に混乱が見られるのだ。

上の文は元来、下の様な形だったものを、一種の倒置を起こさせて”to the music dramaturgy the Fifth Symphony”をbringのすぐ後ろに持ってきたというわけなのである。そして結果的に、直接目的語(下の太字)は、そのあとに回ってしまったのだ。

上に挙げた僕の私訳も、下の文の形で解釈した。

My only desire for this recording is to bring the so called κάθαρσις* in all possible states to the music dramaturgy of the Fifth Symphony, starting from the physical state of metronome and form to the spiritual state of “music not to be found in the notes”.

うん、上の様に書いておけば、ブックレットの訳者の方も、読み違えをせずに済んだかもね…。クルレンツィスは結構、英語が達者だと思うけれども、そのためもあって、ときにやや複雑な表現や構文を用いることがあるのだ。だからこそ、読むのが楽しいのだけれども。

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そんなわけで、テオドール・クルレンツィスの新作をご紹介しましたが、ライナーノーツのことばかり書いてしまいましたw 肝心の音楽の方は、今回もまた素晴らしいです。先達ての投稿に書いたように、実にロックなベートーヴェンになっています。そこは、「世界でいちばんロックンロールな指揮者」(こちらの投稿をご参照)たるクルレンツィスの面目躍如といったところでしょうか。下にリンクしたCDのみならず、Apple MusicやHMV musicでも全曲聴くことが出来るようですので、是非とも。

テオドール・クルレンツィス「ベートーヴェン:交響曲第5番ハ短調 作品67『運命』」
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