長年の愛車を引き取って貰う日がとうとうやって来た。今回は秘蔵写真(?)付きなのだ…

もう、先月のことになるけれども、年度替りにつき、塾の仕事が休みの週があった。従って、その分、英語の勉強に時間を割こうと考えていた。
でも、結局そうはいかなかったのである。僕の乗らなくなった古い車を業者が取りに来るので車内を片付けておいてくれと、かみさんが言うのだった。

その車とは、日産のマーチで、1300ccのCVTだ。彼此25年くらい前に会社の通勤のために中古で買った。
僕にとっては、生まれて初めて所有した車である。しかし、もう僕もかみさんも乗らなくなって10年以上経ち、ずっと車庫に置きっぱなしになっていた。

エンスー(車好き)が多かった当時の会社の人たちの影響もあって、僕もこのマーチをいじり倒したものだった。例えば、マフラーだ。レガリスというスポーツマフラーをオートバックスで付けて貰った。排気音がボウボウと低音で鳴るようになった。
それから、サスペンションやショックは、ディーラーでNISMOに替えて貰った。これで数cmのローダウンになった。タイヤもインチアップして、幅広のものにしたことがあった。これだけで、スタイリングも走りも随分と変わったものだ。

あと、カーステレオはカロッツェリア(パイオニア)のDSP付きのものに替え、CDチェンジャーを追加したのである。
店でやって貰ったのはここまでで、以降は自分で作業するようになった。フロントドアに埋め込みのスピーカーは、自分でケンウッドのものに交換した。リアには木目のボックスタイプを増設した。

そして、寒い朝の暖機運転用としてリモコンエンジンスターターを取り付けた。家の中からスイッチを押すだけでエンジンが始動するというわけである。
あと、エンジンコンピュータに結線して燃調コントローラを付けたこともあった。これは効果があったのかどうか、結局よく分からなかったw

更に、何か増設メータが欲しいと思い、エンジンルームからパイプを引いて負圧計を付けた。
これは、アクセルの開度に応じて、針がピクピク動いて楽しかったけれども、あまり注視していると運転が疎かになるという欠点があったw でも、NA車でちょっとターボ気分(?)が味わえたような気がしたものである。

丸いフォグランプや、ヨーロッパ車風の音が出るホーンを取り付けたこともあった。コンパクトカー故に、エンジンルームやその周辺がとても小さくて狭いので、常に空きスペースとの戦いであったのが実に懐かしい。

あと、エアークリーナーはNISMOのメッシュタイプを入れた。それで、エアクリボックスには付属のステッカーを貼っておいたのだけれども、今回これは剥がして記念に取っておくことにした。
久し振りにボンネットを開けて、エンジンがすっかり埃だらけになってしまっていたのを見た…。

まあ、他にあげたらキリがないけれども(TV用のダイバーシティアンテナとか色々)、引き取りの前日までに毎日作業してこれらを全て取り外しておいた。今はもうクルマいじりというものをやらなくなってしまったので、久々にその楽しさを味わったようにも思う。

そうなのだ。このマーチは僕に車の楽しみを存分に味わわせ教えてくれた、本当に面白い車だった。愛車というよりはむしろ、ペットのような存在だったのだと思う。
結婚前からかみさんとこのマーチに乗ってよくドライブに出掛け、子供たちが生まれてからはチャイルドシート付きで走ったものだ。家族の一員と言っても良い車だ。

だから、すっかり乗らなくなっても、処分するに忍びなく、錆びたり汚れてきたりしても、ずっと車庫に置いていた(朽ちゆくのを見るのもまた忍びなかったけれども)。
そばを通るときには必ず撫でていたので、その箇所だけいつも綺麗だった。でも事情があって、とうとう業者に引き取って貰う日が来てしまったのだ。

メーターの距離計を見ると、93000km余りであった。あと少しで10万kmに到達していた。せめてそこまで乗ってやれば良かっただろうか…。それを心残りに感じつつ、さいごに僕は運転席に座り「いままで、どうも有り難う」と口にした。よく頑張った車だと思う。
錆びて軋むドアをロックして、ボンネットも降ろした。翌日は生憎と雨の予報だけれども、無事に持って行って貰えるだろうか。今はもう、そのことだけが気がかりだったのである…。


そういえば、車内の片付けの最中に、助手席のシートの下から四つ折りにされたメモを見つけた。おもてには、色褪せつつもカラフルで可愛らしいキャラクターが描かれている。開いてみると、それは娘宛のてがみであった。

幼馴染の名前と共に「またあそぼうえ」などなどと書いてある。最後の「え」は「ね」のつもりだったのだろう。

15年くらい前、このマーチをかみさんがよく運転していた当時のものなのかも知れない。車庫で長く眠っていた車は、こうして知らない内にタイムカプセルと化していたのだった…。


そして、当日。雨降りの中を引き取りの業者は来てくれた。予想に反して、おひとりであった。僕の家は少々奥まった所にあるので、業者はおもての通りにトラックを停めて、ここまで歩いたようである。

先ず、マーチのボンネットを開けて、持参したバッテリーを取り付けておられた。訊くと、パワステを効かせるためだと言う。取り付けの際、古いバッテリーを外す方の作業は僕がやった。
あとで気づいたけれども、パワステ以外にもハザードランプを点けたり、合図でホーンを鳴らす必要もあったのだ。

それから、事前の打ち合わせ通り、牽引ロープ(業者はこれを持参して来なかったのでw、僕のロープ)を使って、もう一台の車(僕のホンダ)で引っ張る。僕がそちらを運転し、後ろで業者がマーチのハンドルを操ると言うわけだ。

さて、うちの車庫は更に奥まっていて、途中に曲がり道がある。僕が少し前に進んでは、業者の方がマーチのハンドルの切り角を調整し向きを変える、ということを何回も繰り返した。
牽引ロープも、マーチの前部の右に付けたり左に付けたりしながら、この自走しなくなった車両を業者のかたが上手く誘導していくのである。

僕は、ホンダ(6MT車)を1速の半クラッチで吹かせる。200馬力をゆうに超える出力があるとはいえ、こうして1トン近くある車を少しずつ引っ張っていくのは大変なことだと思った。クラッチの焼けたような匂いが鼻腔に感じられる気がする程であった。

曲がり道を過ぎてしまえば、あとはほぼ直進だ。クラッチペダルから漸く足を離し、なおローギアで徐行して進む。
おもての通りには、3トンのユニック車が停められていた。業者は、リモコンでその荷台を降ろし、電動のウィンチでマーチを引っ張って載せた。ここまでで、ほぼ1時間の行程だった。

僕の事前の予想では、もっと手間が掛かって少なくとも2時間くらい要するのでは、もしそうなったら僕は仕事に遅れてしまうのかなあ…などと考えていたのだけれども、さにあらず。
流石、業者のかたは慣れたお仕事をなさったのである。お陰で作業は実にスムースに運んだ。大変に有り難いことだ。

あとは、業者が用意してきた書類にサインして終わりであった。ちなみに引き取りは無料。きっと、部品や資源として有効に使われることになるということなのだろう、と思う。
おもて通りを真っ直ぐに走り、徐々に小さくなっていくマーチの背に向けて、「今まで有り難う、さようなら」と僕は手を小さく振りながら、再び呟いたのであった…。


さてさて、僕の古いノートPCには今でも、マーチの懐かしい写真がたくさん残っている。下は、20年以上前(まだ子供がいなかった頃)に、かみさんと熱海までドライブしたときのもの。フィルムで撮った写真をデジカメで再撮影したのだと思う。

ご覧の通り、アルミホイールを履かせ、タイヤをインチアップした。フロントバンパーには黒いフォグランプが取り付けてある。
あと、後ろの窓が銀色に見えるけれども、リアガラスは3方ともマジックミラータイプのスモークシートを貼ってある。これらは全部、僕が自分で作業したものだ。


(写真の中で着ているカーディガンは今でも愛用しています…)

それから、アクセサリーとして、前と後ろの牽引フックには、ブリキのバケツのおもちゃをぶら下げていた。写真をよく見ると、フロントバンパーの下に小さく写っているのが分かるかも知れない。そうやって、何かといつも可愛がって乗っていたものだ。

そうそう、キットを買って、ヘッドライトをHID化したこともあったなあ。通勤の帰り道はいつも夜だったので、真っ白な明るい光が嬉しかった。もう何もかもが懐かしく思い起こされる、余りにも思い出の多い車。それが、僕にとってのマーチなのだった…。

……

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