白く朧な望月に、晩夏の訪れをふと思う。毎年夏季の大仕事も、やっとひとつ終わったのだ…

娘が先日、高校の友達と一緒に日帰りで鎌倉まで遊びに行った。このご時世によくもまあ、と思ったけれども、無事に帰宅したのである。それで、お土産にお菓子を買ってきてくれたのだ。パッケージには、うさぎのイラストがあしらわれている。

そして、吝嗇な僕には食べ終わったあとで、この個包装の袋をそのまま捨てるのが惜しく感じられた。うさぎの絵が余りにも可愛らしいからである。そこで、すぐに閃いた。この部分だけ切り抜いてしまおう。縦に長く切れば、本の栞として活用できるだろう。

栞は実に幾つあっても良い。僕は普段、図書館で本やCDを借りたときに出てくるレシートのような貸出票を半分に切ったり折ったりして、栞がわりに使っている程だ。あらゆる書物が読みかけになっているからである。
このうさぎも、栞として自分の文庫本に挟んで使おう。お菓子はまだ何個かあるので、その分だけ栞を作れるというわけだ。ちなみに、このお菓子は冷やして食べるとなお美味しい。間に挟まっている桃味のクリームの味が引き立つのだ。


今週の日曜日は十五夜の月、満月であった。望となる時刻からは2時間半ほど遅れたけれども、雲が少し引いた頃合いを狙って撮ることが出来た。
灰色のヴェールの向こうに見える白い望月は、P900のAFを拒むかのようにして輪郭をなかなか露わにしようとはしない。何枚目かで漸くその形を捉えることを得たのである。

よく見ると、やはり雲間から右上にポツンと一際に輝く星があった。木星であろう。満月と同じ画角に入れて撮ってみたけれども、月がホワイトアウトした。目には楽しく映れども、レンズにはどうにも難しい…。

近所の桜並木には、夜の間も蝉のミィンミィンという声が響いている。そのようにして、夏の残照を虚空にぼんやりと描き出すかのような、朧な月夜なのであった。

それにしても、白い月、モノトーンの夜だなあ。もし冬であったならば、寒さが一層に引き立ったであろうと感じる程に…。


そういえば、前回と前々回のトップの写真が、色合いと言い構図と言い、そっくり被ってしまったことに後で気づいた。この一覧のうち、8月14日と8月21日の分である。

でも、前者は夕焼けの風景で後者は朝焼けなのだ。まあ、いずれも同じ原理で起きている現象なので、こうして写真に収めてみると非常に似通って見える。うっかりしていたなあ。今後は気をつけよっと…。

さて、上の写真はゆうべ、月の出の時刻から2時間後(午後10時半頃)に、ニコン P900を使って撮影したもの。この晩の月は、寝待ち月または臥待ち月という。人の横顔のような模様が肉眼でもそのまま確認できるようなアングルの月面であった…。

いつも以上に色々あった夏期講習の仕事は、超怒涛の末にやっと終わった。2日ほどは(塾の仕事だけ)束の間の休みである。
いやあ、実に大変な日々であった…。それでも、僕は毎日、英検1級の勉強を日課として嬉々と続けていたので、これに関しては自ら愉悦を覚えている。

きっと今後、この世界において時代の潮目は刻々と変わっていくだろうと思う。
目下の艱難の中で己が何を成し遂げたかによって、行く末が否応無く決せられる筈だ。何も持たない者は軈て淘汰され斃れていく。僕はそれに備え知力も心身も、継続して打ち鍛えているのである…。

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下のリンクは先日、図書館で借りた本。戦時中の白黒写真をCG技術を用いてカラー化した、新書版の写真集です。零戦などの航空機や、大和および武蔵などの艦船の姿をはじめ、真珠湾攻撃やミッドウェー海戦および原爆の投下などなど、この戦争の契機や転換点を物語る一枚一枚が鮮やかな色彩で復元されています。
中でも特に胸に迫ったのは、ミッドウェー海戦で激しく大破した巡洋艦三隈と、沖縄作戦で被弾し白煙を上げながら洋上を迷走している戦艦大和の最期です。それから、表紙でも用いられている若き特攻隊員の一途な眼差しも。
この戦争に自らの生命を賭する覚悟で臨んだ当時の人たちは、今般の世界情勢や日本の姿をどのように捉えているのでしょうか(ちなみに、僕の父方の祖父は陸軍曹長でした)。そして、いま僕たちは彼らに恥じない生き方をしていると言えるのか?改めて、そういったことを自問しつつ、ページを捲っていきました。この夏にお薦めの一冊です。

『カラーでよみがえる日本軍の戦い 』(宝島社新書)
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