明けましておめでとうございます。今年は勉強の成果を出したいものだなあ、と考えつつ(?)初日の出を撮ったのだ…

先ずは、きのう大晦日の投稿のつづき)振り返るに英語の勉強に明け暮れた(…と言うより、ただ只管に楽しんでいた)2021年もあと数時間で終わろうとしている。

晩餐は毎年恒例のカニ鍋だw そこで、獺祭スパークリングを開けた。スキニーなシャンパングラスへと注ぐや、微細な泡粒が弾けて踊る。はやる気を抑えてパチリと一枚。

まずは一口含むと、甘みがじんわりと広がるのを感じた。こうして味蕾を刺激するのは炭酸のせいだけではないようである。
45%まで磨いた山田錦の風雅ともいうべき趣き豊かな味わいが、僕の口腔で存分に響き渡ったのだ。お酒なのにアルコールらしさを全く感じさせないのは、如何にも獺祭そのもの。

何杯か飲んで、スクリューキャップをぎゅっと締めてから、ゆっくりと瓶をひっくり返して元に戻した。底の白いスウィート部分をそっと攪拌するためである。
これが獺祭スパークリングのふたつめの味わいだ。濁り酒のようにトロトロと流れ出たかのように見えた、これもまた旨い。


(獺祭は、こんな風に空の炊飯器に氷水を入れて冷やしてから飲みましたw)

今はあんまり酔うわけにはいかない。この後、英検1級勉強会のオンライン年越しがあるからである。そこでは、先達ての英文エッセイコンテストの優勝賞品たる、スイス産スパークリングワインを皆の前で開けて飲もうと考えている。

ところで、大晦日は僕にしてはかなり珍しく、TVというものを見ている。NHK Eテレの第九交響曲とクラシック音楽特番を楽しむためである。
同じNHKでも白だの紅だのという方は興味が無いので見ていないw 僕は畢竟、世界レヴェルの言語と教養そして芸術にしか関心がないのだ。嗚呼、でも今ちょっと酔いが回って来ているかも知れないな…と思ったw

さて、トップの写真は、これも毎年恒例、TVのジルベスターコンサートの画面を撮影。
オンライン年越しの最中、PCの傍に置いてある小さなTVで撮ったので、写りはややイマイチかも。皆さま明けましておめでとうございます、ということで、本年も宜しくお願い申し上げます。


(そして翌朝、元旦)
ゆうべは、英検1級の勉強仲間たちとオンライン年越しをやった後に蕎麦を食べてから就寝した。午前1時くらいだっただろうか。そして今朝はAmazonのスマートスピーカーを6時過ぎに鳴るようセットしておいた。初日の出を観察して撮るためである。

6時半に漸くカメラを三脚にセットして東天を見遣ると、旧暦29日の薄月がまだほんのりと浮かんでいた。
本当は、その剣先に火星がいる筈なのだけれども、それを見るには少々遅かったようだ。空がいつの間にか大分明るくなり始めていたからである。

それから暫く時間を潰した…と言っても、丁度炊き上がったご飯を保温器に移したり、食洗機で洗い終わっていた食器を片付けたり、コーヒーを淹れたりして過ごした。

その一方で家族はまだまだ寝静まっている。こうしていつも早起き鳥の僕だけがせっせと活動しているのだw

午前7時、遥か遠く斜めにラインを描く民家の屋根の上から、黄色く輝く陽を臨んだ。例年よりもやや南寄りに昇っているように感じる。
まあ、これも星と暦の巡りのひとつだろうと思いつつシャッターを切った。手前に伸びている桜並木の枝が朝陽を浴び、その芽が映えていた。

僕は毎年、こうして初日の出を撮る度に、卵の黄身を連想してしまう。何故なのだろうか。ある種の生命を感じているからなのか、それとも単にお腹が空いてきているからなのかw
今年も(いや、今年こそ?)世相が上向けば良いと思う。僕自身はいつも向上心を以って歩んでいるつもりなのだけれども、この国と大衆はさてどうなのだろう…と。

“Don’t live the same year 75 times and call it a life”
—- Robin S. Sharma (1965- )

「75回も同じ年を生きて、それが人の一生だなんて称するのはやめたまえ」
(ロビン・シャーマ、作家)

本稿の最後に、購読している英字新聞に載っていた名言をひとつ拙訳してみました…。
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