ふとした弾み(?)で、とうとうアレに感染してしまった。それで、お医者さんを見つけるのが実に大変だったのだ…

トップの写真は、最近図書館で借りた本。PHPの「世界の知性シリーズ」を中心に、海外の様々な分野の専門家に対するインタビューを纏めた新書たちである。
英検1級は日本国内で最難関の英語資格試験のひとつであると同時に、広範なジャンルに関する国際的な教養試験の性質も兼ね備えていると僕は捉えている。それらの内容について、英語で読み、聞き、書いて話せるようになっておかなければならないのだ。

例えば、最近解いてみた過去問には、世界的ベストセラー『サピエンス全史』のユヴァル・ノア・ハラリ氏の学説が1ページ丸ごと書かれた問題文があった。
また、他の問題では、NATOの秘密部隊の活動についてなどなど、それこそどんな話題でも登場してくるのである。(ちなみに、僕はどちらも全問正解したw)

こうなったら、受験者は、それに備えて何でも一応は知っておかなければならないだろう。したがって、この写真のような書籍に目を通して、文系理系を問わず世界の動向を幅広くキャッチしておく必要があるというわけなのである。

先日、仕事場の塾に行き、先達て英検1級を受験したという同年代の英語の先生と話をした。惜しいことに、僅かに合格ラインに届かず、1次試験で不合格だったそうである。
特に英作文問題(遺伝子工学についての小論文)では思うように書けなかった、と残念がっていた。書いている途中でネタが尽きてしまったのだそうだ。

やはり、背景知識を出来得る限り厚く持っておく必要があるのだな、と僕はその話を聞いて思いを新たにしたのであった。
その先生には、お薦めの書籍を幾つか紹介しておいた。多分、来年早々にはふたりで同時合格となるかも知れない。そのときが今から楽しみである…。


さて、先週のことになるけれども、僕は遂にアレに罹ってしまったのである。世情を慮るに、具体的な感染症名や病名を出すのは憚られるので、そこはご想像いただくとして、とにかくパンデミックのアレである。以下、個人的な記録として記していきたいと思う。

7月の最後の数日間、かみさんが遠方へ出掛けたという出来事があった。何やら用件は、プロテスタント基督教会の研修旅行のようなものである。こんな非常事態のご時世によくもまあ行くものだなあ、と思ったけれども、教会とはそんなものなのである。
それで、7/31の夜にかみさんは帰宅した。幾分の食べ物をお土産に買って来てくれたので、娘も含め3人で夕食として賞味したのだった。食事でテーブルを囲む際には、僕が窓からいちばん遠い位置に座る。つまり風下だ。逆に、風上は娘である。

僕は、子供のときからの躾のおかげで、食事の最中はほぼ無言を貫く。食べながらお喋りをするという習慣がないのである。かたや、かみさんは食事の際、特に娘とはよく喋るのである。この晩も、娘に写真を見せながらお土産話(?)をしていたのであった。

そして、翌日である8/1だけれども、かみさんが「熱が出た」と言って寝込んだということがあった。僕はちょっと嫌な予感がしないでもなかった。
しかし、かみさんは、更に翌日の8/2にはクリニックで「夏風邪です」と診断されたそうで、貰ってきた薬も殆ど飲まないうちにケロッと良くなってしまったのである。この8/2の夕方頃から、入れ替わるようにして今度は僕が頭痛に見舞われるようになったのであった。

頭の右半分の一部がズキズキと痛むという偏頭痛だった。これは熱中症の症状だろうか、と思った。その晩は市販の頭痛薬を飲んで寝たのである。
翌8/3の朝になっても頭痛は治まっていなかった。日中、身体が火照った感じがしたので体温計で熱を計ってみると、37.9度あった。僕はそれでも、自分がまだ熱中症だと考えていた。咳など他の症状が無かったからである。

取り敢えず、かみさんがクリニックに行ったときに持ち帰った薬の中で、カロナール500という鎮痛解熱剤を貰って飲んでおくことにした。この薬の効き目は素晴らしく、飲んで数時間は偏頭痛も熱もスッと引いたのである。唯、効き目は飽くまでも数時間であった。
8/4も前日同様に、カロナールを飲んで寝た。加えて、小さな保冷剤を偏頭痛の痛いところに当てておくことにした。これもまた、効き目があったのである。あと、かみさんが何処かからか、抗原検査キット一回分を手に入れて来た。

翌8/5の午前、僕はこの抗原検査キットで検査を実施してみた。柄の長い綿棒を鼻に2cmほど入れて行うタイプである。綿棒を浸した試薬をプレートに垂らすと、それが判定用の小窓に流れていく。15分ほど経って、小窓に判定結果が線の数で表示されるというわけだ。

出てきたのは所謂、残念なお知らせというやつである。無情にも線は2本表示され、それはまごうことなき陽性であることを示していた。正直申し上げて、嗚呼やっぱりそうであったか、という感慨であった。それとは反面、実に悔しいという気持ちもあった。

きっと、かみさんに移されたのだろう、と思ったからだ。それ以外のルートは全く考えられないのである。多分、かみさんは旅先からウィルスの運び屋になってしまったのだ。それで、7/31の夕食のとき、風下の僕がいの一番に移されたのだ。僕はそう推測した。
早速というか、むしろ遅ればせながら、発熱診療を行ってくれる医療機関を探すことにした。市のサイトには、そういったところを検索するためのページがある。そこで見つけて電話を架けてみた。すると、「明日の朝から受付いたします」ということであった。

それで察した。その日の分の診療は、その朝に電話受付するというわけなのである。ちなみに、医療機関ごとに人数には限りがあり、要するに早い者勝ちなのだ。昔々、電話受付でコンサートのチケットを取ったときのことを、つい思い出してしまった。

翌8/6の朝8:30。先ず、この時間から受付を開始するクリニックへ電話を架けてみた。ちなみに、8:29までは留守番電話だった。8:30きっかりが勝負である。電波時計を片手に、丁度の時刻で電話を架ける!
「ツー、ツー」という話し中音が繰り返されるのみであった。何度リダイヤルしても同様、話し中なのである。
一回だけ、「プルルルル…」と呼び出し中になったことがあったけれども、何故か誰も出ないうちに切られてしまった。15分ほどリダイヤルを繰り返した後、二度とは繋がらなかったので、ここは諦めることにした。

9:00から受付開始のところや、9:30のところも電話を架けてみたのだけれども、やはり話し中になるばかりで殆ど繋がらない。何度もリダイヤルを繰り返しているうちに、体調がますます悪くなってくるのを感じた。ヘトヘトに疲れ切ったのである。
そんな中、一件のクリニックが「抗原検査を実施済みならば、コレコレという方法で診断して貰えば良い」という提案をしてくれたことがあった。先方にしてみれば、電話受付の段階で患者を選別する必要があったのだと思うけれども、僕にとっては有益な情報となった。

この日は、午前中で電話大作戦を切り上げた。朝食を食べてカロナール飲み、寝る必要があったからである。それらのいとまもなく電話をかけ続けて具合が悪くなるのだとしたら、それこそ文字通りの本末転倒だ。

そして、翌日の8/7は、電話大作戦は一切実行せず、全く別の方法で発熱診療の機会を得るに至った。それに関しては、紙幅の都合上、次回の投稿に譲りたいと思う…。(つづく…)

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