兵庫 義の闘い vol.9

6月15日告示日。午前7時勝谷事務所。

前日から神戸入りして頂いていた東京からの義勇兵、貴姉U原さんと落ち合う。すでにU原さんは「義Tシャツ」をまとい選挙チラシの折り込みなどをやっておられた。私の方も事務所に到着するなり様々な雑務や相談などが矢継ぎ早に押し寄せて来た。こちらも担当地域まで早く移動したいのだが雑務や先の段取りなどで手間取った。

大量の選挙ポスターを積み込みいざ出発。加古川までは三宮から約90分。移動中U原さんと他愛もないお話しをするも、東京の空気と風を運んでくださるスマートなお話しに、ド田舎暮らしの人相もよろしくない私なぞ無粋、野蛮でしかなかっただろう。

加古川ポスター部隊の集合場所であるJR加古川駅到着。続々とこの日お手伝い頂く義勇兵の方々が集結して下さっていた。何せわずか13~4時間前からの急ごしらえの任務だったので、正直詰め切れていない段取りに申し訳ない思いだったが、そんな事を言っている場合などではない。兎にも角にもいち早く全てのポスター掲示板に1分でも早く貼り終えるだけだ。

「人生の中の運を無駄に使っちゃったよ~!」とおどけながら「No.1」を引き当てて意気揚々と帰って来た、我らが参謀総長ヨロンさんの「1番席」を貼り尽くすのだ!!

駅頭でポスター部隊の方々とお互いに簡単な自己紹介を済ませ、早速加古川地域の地図を広げ地の利の有無などの細かな打ち合わせと、担当地域を相談した。

ポスター部隊の方の中には、告示前の兵庫ツアーの講演会でお目にかかった方がお嬢さんと駆けつけて下さっていて「あれ!?講演会で・・・」と話しかけると、「そうです!加西で・・・」と、もはや懐かしく思えるほどの感覚を覚えさせて頂けた熱烈な勝谷ファンの方、A帽での運送業の仕事を放置し!駆けつけて下さった方、以前私も乗っていた四駆を駆って参戦して頂いたご夫妻、現在では人の営みには欠かせぬモノとなっている携帯電話関係の方は最新の3輪バイクで参戦。そしてもうひと方は3日間に渡りお手伝い頂けるとの事をお聞きし、なんだか既に熱いものがこみ上げて来た。

それぞれの方のご要望を最優先し、地の利や住居地、仕事関係での経験等にお任せし、イザ!とそれぞれの担当地域へ向かって頂いた。

私が担当したのはこの地域で一番不便、と言うか最も奥まった広大な農村地域から潰して行こうと考えた。この地域はいわゆる被差別B地域でもあり、ボランティア部隊の方々にもしも「何か」あれば取り返しがつかないとも思い、まず私が片付けねばと思った。大都会から成り行きで私に同行して頂いたU原さんには申し訳ない思いだったが、「そんなのどうだっていいわよ!!早く片付けちゃいましょう!!」と勇ましい貴姉は、5枚も貼り終わる頃にはすでに職人の様な素早い動きで、完璧なナビゲートを動いて下さるのだった。

しかし奥まった田舎道では行き止まり!や、先細り!!の道が複雑に入りこんでいて、まあスムーズには行きませんでした。バックも出来ずミラーをたたんで進むも、両サイドの石垣や擁壁との隙間が1寸ほどのタイトでスリリングな道が何度有ったことか。

行政の怠慢、不誠実な事おびただしい掲示板の住所資料もそれぞれのポスター部隊を悩ませていた。私達が貼り続けている時にも何度となくヘルプ電話が掛かって来ていた。そのほとんどが「掲示板が見つからない」と言うものだった。私は私で担当場所を片付けねばならず、すぐにフォローへ駆けつけるのは不可能だったので、とりあえずは未発見の掲示板はチェックしておいて頂き、後ほどこちらで回る事にして頂いた。

私達の担当場所には飲食店などはほぼ無い田園地帯であったため、昼飯!をどうしようかと考えていたら、助手席のU原さんが「ハイ!シリ!」とスマホに話し出したかと思うと、即座に近隣のコンビニを知らせてくれるのだった。(笑) アナログ人生!田舎暮らしの私の周りには「音声検索」をする人を見た事が無かったので、「東京の人はお尻にあいさつをする習慣があるのか!?」と心配するほどの衝撃を受けた。(失礼)(笑) しかもまあ、カッコイイ事スマートな事便利な事。これには私も少しは勉強して使わねばと思い知らされたのでした。(恥)

せっかくの兵庫の旅を少しでも楽しんでいただきたいと思っていた私だったが、周り近所に何もない状況ではご案内するにもどうしようもない。U原さんにはとても申し訳なかったが、「シリ」で検索して頂いた7-11に立ち寄って工業製品の様なエサをかき込んだ。私にとっては恐らくは5~6年ぶりのゴミビニ飯であった。。。

これまでに関わった様々な選挙でポスター貼りは何度もやって来てはいたが、これほど難解なものは経験したことは無かった。カーナビに打ち込みようにも存在しない地名や表記が散在していて、想像以上に時間がかかり難攻を極めた。流石!共産党!自民その他もろもろ相乗り候補!「組織力と経験の上のノウハウ」は完璧なものだ。どの掲示板にたどり着いてもこの2者はすでに貼られていた。私達は西のマック赤坂ことN川陣営よりは少しだけ早い程度だった。

17時過ぎには続々と報告電話が入り出して来た。「貼り終えましたが、2~3ヶ所の不明がありました!」が「基本」となっていた。とりあえず不明ヶ所を集計するため、お礼かたがたそれぞれに集合して頂いて、皆さんにご挨拶はさせて頂いたが、私の担当場所はまだ先があり、そそくさとご無礼させて頂いた。

日も傾きかけた頃、U原さんの予定時刻となり、申し訳なかったが、日本の流通を底支えして頂いているポスターメンバーの方に最寄りの駅までお送り頂いた。恐らくは貴姉の人生の中で初めての「軽トラ!」乗車ではなかったのか?と今思うと何か楽しくなってくる。(笑)

その後私は1カ所づつ地道に片付けて行った。明日以降の活動場所よりもあまりに離れている地域だったので、全て終わらせるまでは帰る事など出来ない。

全て貼り終えたのは19時過ぎだった。明日も加古川地域なのでとりあえず加古川の中心部へ戻る。この日最後に連絡を頂いたのは3日間ご参加下さるT田さんだった。私と同じような時間まで貼り続けて頂いていた。しかも彼は全て「徒歩!!!」で回って頂いていたのだ。無駄に図体と態度だけがデカい私とは対極の、理知的で小柄なT田さんが、重さ数キロのポスターが入った大きな紙袋を下げて一日中歩いて下さっていた。私の頭の中ではT田さんの愛称がずっと巡り回っていた。「ピルグリムT田」さん。ピルグリムT田さんの熱い思いと地道で謙虚な姿を前にして、私など何ひとつも及ばないと改めて褌を締め直した。そののち、T田さんとご一緒させて頂く機会があり、「ピルグリムT田さん!!」と言ったのだが、何ですかそれ?とキョトンとされていたので説明させて頂いた。ピルグリムとは真実をあるいは救いを求め旅をした「巡礼者」の尊称である。T田さんの後ろ姿はまさにpilgrimを想起させてくれた。

加古川駅周辺へ戻りとりあえず宿を探したが、全てアウトだった。元々宿が少ない地域にあってはどうしようもない。親切な旅館の方が電話で問い合わせてくれたのが高砂の宿だった。既に選択肢など無いのでとりあえず向かった。某駅前に建つ旅館だった。部屋に入るとヤニのにおいと男子臭が染みついた部屋に通され、汗だけ流そうと30数年は使い倒しているだろう浴室のシャワーカーテンにはカビ達が元気だった。窓を開けるとすぐ裏のスナックで酔っぱらいが♪ろくなもんじゃね~~~~♪と熱唱している。この環境で、門限23時と言うハイレベルな苦痛を強いられながら、一晩素泊まり7600円。。。       世が世、場所が場所ならば木端微塵にしてやりたい気持ちを押さえて、ただ寝るしかなかった。

6月16日早朝。貴重なキチン宿をそそくさとオイトマし、加古川駅へ向かう。

この日も先日の担当場所を周って頂いていた方々は引き続き現場を回って頂いていた。ピルグリムT田さんはポスターの補充に来て下さっていた。そして遥か北海道からポスター部隊に参戦して頂いたS井さんと顔を合わせた。

そそくさと簡単な挨拶もそこそこに加古川市内の掲示板を回った。住宅地や工場地帯、田園地帯が混在する地域はやはり分かりにくく、町の成り立ちが古いため、細い露地に苦しめられながらもひとつひとつ貼って行くのみ。

13時を回った頃、ひと段落したので、私個人的な私欲にお付き合い頂いた。若かりし頃「いろいろ」あった地域で、月に2~3度通っていた中華料理屋にほぼ6年ぶりに行かせて頂いた。

https://tabelog.com/hyogo/A2804/A280402/28003836/

数年前から汁無しラーメンみたいなどは流行っているのは知っていたが、こちらは遥か昔からそのスタイルの麺があった。これがほんまに美味くて。。。いやホンマに美味くてどうしようもなく食べたかったのだ。

幸せな腹におぼれている時間など無く、目につく掲示板を潰していると、ピルグリムT田さんから「終わりました!」と連絡が入った。残ったポスターなどもあり合流した。するとT田さんは「まだ行けますよ!どこ回りましょうか!?」と仰って頂いたが、もう今日は車に乗って下さい!と、そこからは移動が長い地域や不明ヶ所を一緒に回って頂いた。途中どうしても分からない掲示板を3人で手分けして探していたがどこにも無く、偶々通りかかったパトカーのポリさんに住所を見せて聞くも、「これは私らでも分かりませんわ」と言う事で、諦めたのだった。

日も傾いた頃、この地域での約6.5割程を貼り終えた。

こちらでは宿も無く、日中より様々に苦情や相談が入って来ていたので、S 井さんと三宮へ戻り、偶々事務所に居た勝谷さんにS井さんをお引き合わせし、私にはいろんな方からイロンナ耳打ちやデータを見聞きさせられ戸惑ったが、とても笑えるようなシロモノでは無かった。

とある方から転送を受けたメールには、「勝谷事務所のタイチが女と淡路島で温泉に入って遊んでいる」「あの役立たずではどうしようもない」と言うような内容のメールだった。私は「????」誰が?何のため??    そりゃね、中々行けない地域で丸一日ポスター貼りに走り回り、近所に温泉でもあればそら入るでしょう!?私のような者から見たら「入らん方がアホ」でしか無いのだが。

ここから私の拙い情報網をフル稼働するハメになった。

日本の中心部在住の旧知の友人達はまさにそのメールを見ていた。日本国中の「勝負師エジプトババアの風に乗ろうとする税金で遊んで食いたい強欲クズの会」略して「○○政治塾」から更に「無能」と捨てられたゴミクズ連中のメーリングが発信元だった。この書き込みをしたのは皆さんご存知カオナシパンパンマダニS木である。

三ノ宮事務所開きの直前、既にスタッフの中核として動いて頂いていたA川さんの肩を”パチパチ”と叩いて「あのヒト(勝谷)紹介して」と敬語の使い方も知らぬ無礼千万なパンパンが勝谷組に潜入したのがそもそもの始まりだ。そう!この時まで勝谷さんとカオナシパンパンマダニは顔見知りでも無く、「××な日々の一行たりとも」読んですらいなかったのだ。

最初の頃は講演会の前説を売り込み、少しは「遠慮(実は様子見)」ぎみだったが、パンパン目線から見れば勝谷組のどいつもこいつも「使えない」と見えて、外野から攻撃を始めたようだ。

何の為?「オノレが候補者を操作する為」だ。

「義心で集まった集合知」と勝谷さんは言うが、舐められたもんである。

何度も書くが、やはりヨロン、タイチ両参謀の判断と指示を待つしかない組織であって、両氏がそれぞれに忙殺される実務の対応で手一杯!な状況の中、その隙を見逃さず候補者に「粘着」し大枚500万円をせしめたのはたいしたもんである。これからは「パンパン詐欺師」と書き換えようかと尊敬すらする。(蔑)

またついつい横道に逸れてしまった。。。。

2日目のポスター作戦を終え、S井さんと晩飯をご一緒頂いた。北海道のS井氏は某町会議員さんであるが、関西とは縁(えにし)深き方で、話せば話すほど奥深い方であった。

6月17日。早朝から動き出すも、前日の尾ひれや、新たな仕事が降りかかって来た。詳細を書き出すときりが無いので割愛させて頂くが、とにかく今は担当ポスター地域に行かせてくれ!!と走った。

朝の雑務と渋滞で大分遅れて加古川到着。申し訳なさで辛かったが、何の言い訳が実になる事も無い。

この日は地元周辺の方や、広島から駆けつけて頂いたご一家が参戦して下さっていた。これまでの2日間で、ややこしい地域はほぼ終わっていて、比較的分かりやすい住宅地の担当場所をお願いできた。

私は3日間お付き合い頂く「ピルグリムT田さん」のフォローをさせて頂いた。

この日は、勝谷本隊が加古川街宣!だったので、せっかくなのでポスター部隊の方と出会えるように思ったが、そんなにうまいタイミングなど無く、ひたすらポスターを貼り続け、気付けば正午を前後して、「終わりました」の連絡がみなさんから入って来た。

 

トータル504個所のポスター掲示作戦。例えば「勝田ヨロン氏宅向ガードレール」など、地元の人ですら知りもしない住所地など2ヶ所は最後まで分からず終いだった。

日本全国から義勇兵の方々に、改めて心より感謝致します。ありがとうございました。

皆さまの義をお預かりした以上、これよりも私が身得してきた真実を書いて行きます。

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