歳をとっても老けない人が■0代で、やらないこと

最近、和田 秀樹氏が書かれたものをチマチマ読んでいる。とてもためになる。件名の■0代は原文では50代だが、私は60代になってしまったし、内容的には変わらないと判断した。⇒原文

愚痴は言わないようにしなきゃな~。あかんあかん、無意識に口にしてしまうことがある。

以下抜粋、かつ適当に強調したもの。

人間は、〝思わぬところ〟から、思わぬほど早い時期から老化が始まり、しかもそれを放っておくと体も見た目も老けていきます。この〝思わぬところ〟とは「感情」です。そして「感情の老化」とは、科学的な事象として言い換えると、「脳の前頭葉が老化する」ということだそうです。

前頭葉は、個人差もありますが40〜50代頃から萎縮し、目に見えるように老化し始めるといいます。和田秀樹氏の『医者が教える50代からはじめる老けない人の「脳の習慣」』より一部抜粋し「前頭葉の鍛錬」の具体的な方法を、お届けします。

変化や問題が起きても、それを恐れない
変化を楽しむ

「変化」や「問題」を回避するのではなく、「前頭葉を鍛えるチャンス!」と、喜んで対峙すること。それがさらに前頭葉をフル稼働させ、素晴らしいアイデアもひらめいてくるはず。

「杓子定規な人はボケやすく、頭が柔らかく臨機応変な人はボケにくい」というのは医学的にも正しいことです。

頭頂葉と側頭葉はルーティンワーク、前頭葉は「想定外」と、脳のそれぞれの領域で分担が決まっていることと関係しています。

頭が柔らかく臨機応変な人というのは、前頭葉が活発に働いて鍛えられるため、老化を防ぐことができるのですが、このことは、変化に富む刺激的な生活のほうが、前頭葉は鍛えられ、老化を防ぐことができることを意味しています。

それゆえ、自ら「想定外」との出会いを探しに行こうと提唱しているのですが、もっと基本的なことをいうと、望みもしないのに訪れる問題や変化にも、これを避けようとするのではなく、むしろ積極的に対峙して、問題解決に臨む心構えが大切ということです。

つまり、何か変化や問題が起こっても、それを恐れず、また「嫌なこと」と思わずに、「よし、これは前頭葉を鍛えるいいチャンスだ!」と、喜んでその変化や問題に向かっていくということです。

変化を恐れず、むしろ変化を楽しむくらいの気持ちを持つこと。すると前頭葉は一層大喜びでフル回転し、意欲的になり、素晴らしい解決策がひらめいてくるはずです。

愚痴を言わない

愚痴を言っていても始まらない。不都合なことが起こっても「不自由は発明の母」。全身全霊を傾けて考えれば、きっと乗り越えられる。

「歳をとると愚痴っぽくなる」と、これもよくいわれることですが、愚痴っぽくなるのもやはり、前頭葉の老化現象です。

やたら愚痴っぽくなるのは、前頭葉の老化により問題対応能力が低下して、何か不都合なことが起こってもなす術もなく、かといってその状況を受け入れることもできず、そのジレンマが「愚痴」という形で現れてくるのです。

しかし、愚痴を言っていても何の解決にもならないことはもちろんです。

「愚痴は言わない」、まずはそれを習慣づけること。そして、愚痴や文句を言うかわりに「考える」習慣をつけること。考えることで前頭葉をフルに働かせれば、おのずと前頭葉は鍛えられ、そしておのずと問題解決能力もアップしていきます。

ちなみに私は、日本人にとって「不自由は発明の母」と考えています。何か不都合なことが起こったり逆境に陥ったりしたときほど日本人は強く、創意工夫で乗り切っていく力があるのです。

何か起こっても愚痴を言っている場合ではありません。自らのDNAに潜んでいる日本人ならではの優れた能力を、ぜひ発揮してほしいものです。

「二者択一」にしない
ひとつのことに30のアイデアを出す訓練をする

「二者択一」「白か黒か」ではなく、「これもあり」「それもあり」「あれもあり」……とたくさんの選択肢を出してみる。これも「変化対応力」を鍛えるトレーニングになる。

社会問題に対して寄せられる論評を見ると、たいていは二者択一論に終始しています。例えば原発問題でいえば、主には「危険だから即廃止」VS「原発廃止は非現実的」の対戦路線で、「漸次減らしていき、将来的には全面廃止」という声もあがってはいるものの、ふたつの主論にかき消され、影も薄くなりがちです。

原発の代替エネルギーについての議論も、風力、火力、水力、太陽光、など既存の方法の域を超えず、太陽熱など新しいエネルギーには目を向けず、あるいは選択肢は少ないほうがよいと考えられているのだろうか……と思ってしまいます。

社会問題に限らず、個人の問題、また日常生活のなかのちょっとした選択のシーンでも同じように、「あっちかこっちか」的な傾向がありますが、最終的にはひとつの案、結論にまとめるにしても、選択肢は多いほうがいいと私は思います。

ある出版社では一冊の本のタイトルを決めるときに、営業・編集部員が一人最低30タイトルを挙げること、というルールがあるそうですが、このようにたくさんの選択肢を出そうと思ったら、普段の自分の見方・考え方、知識や情報だけではとても追いつきません。いつもとは違う視点や立場からの発想が必要になります。

こうした発想法が、「別の可能性」を考え「変化対応」する力を養うことにつながります。

「これまでどうだったか」より「これからどうするか」

過去の経験だけで行動をコントロールするのではなく、未来の予測や展望から「どうするか」を判断する。変化の激しい時代には、そんな前頭葉の未来型思考が必須。

脳の前頭葉が果たしている役割のひとつに、頭頂葉や側頭葉など他の領域に蓄積された「これまでの経験」から総合的に判断し、自分の行動をコントロールすることがあります。

これは多くの動物に共通していることなのですが、他の動物と人間が違うのは、自分の行動を決めるにあたって、前頭葉が過去の経験だけでなく、さらに未来の予測や展望を立てて、それを重視しながら判断するという点です。

つまり、「これまでこうだったから、こうする」ではなく、「これまではこうだったが、これからはこうなりそうだから、こうする」という思考です。

前頭葉が活発に働いていれば、このように「これからはこうなりそう」という「仮説」を立てたり、「こうなりそうだから、こうする」というシミュレーションを行うことができるというわけです。

もちろん、これまでの過去の経験も、未来をつくる「土台」になることには間違いありません。しかし、現代のように変化の激しい時代には、ただ「過去はこうだったから」「理屈ではこうなる」では追いつかず、的確な対応も難しくなります。

「土台」から「新しい何か」を考え出す力、「これまでどうだったか」より「これからどうするか」という、前頭葉の未来型思考が不可欠なのです。

失敗を恐れない
失敗の可能性のあることもやってみる

自らの考えも、好奇心も、「実行」「実験」なくしては、前頭葉にとっては何の意味も持たない。「未知の失敗が織り込み済み」の実験に挑戦し続けることが「脳の若さ」を保つ秘訣。

「脳の若さ」を保つには、自分の考えとその考えを実行することをセットにすることが大切です。何にせよ興味を持ったらすぐに具体的「行動」に移すべし、です。面倒くさがって何もしないようでは、前頭葉の老化が進んでしまいます。

自分の好奇心に従って行動するときには、「実験的精神」が必要になりますが、この実験は「失敗」が伴う可能性のものでなければ、これもまた意味がありません。

学校の理科室で行う実験ではあらかじめ「結果」がわかっていることがほとんどですが、本来実験とは、「未知のものへの挑戦」であり、「失敗」の可能性が織り込まれたものです。

逆にいえば、失敗する可能性のないものは実験とはいえません。

その失敗を恐れず、自分の好奇心のままに思い切って行動してこその実験的精神です。そんな実験的精神こそが前頭葉を刺激し、働かせるのです。さらに「失敗」は、予測できるものもなかにはありますが、「想定外」の失敗であればあるほど、前頭葉には大歓迎です。

想定外の事態に直面して、「さあ、どうするか」と考えることで一層、前頭葉がフル稼働します。積極的に「未知の失敗が織り込み済み」の実験に挑戦し続けることが、脳の若さを維持する秘訣といえます。

歳をとっても苦労は買ってでもすべき

多くの人は、記憶力が低下することで初めて「ああ、私もいよいよ老化が始まったか」と思うのですが、ここがまず、勘違いの始まりです。

記憶力、つまり記憶のインプットとその蓄積に関係するのは、脳の側頭葉ですが、この側頭葉は、前頭葉と比較すると老化が始まるのが遅いという特徴があります。

記憶力が低下し始めるとっくの前に前頭葉の老化が始まっているというわけです。

また、「若い頃は視野が狭くても、歳をとって経験を積むほど多彩なものの見方ができるようになる」と一般的には考えられがちですが、これも大いなる勘違いです。

歳をとり始め、「まだ側頭葉は健在だが、前頭葉は老化している」ときに特に目立つのが「以前はこうだったのだから、とりあえず、同じようにしておけば問題はない」という、いわゆる「前例踏襲型思考」です。

これは前頭葉の「未来型思考」ができなくなってしまっているゆえに陥る思考法ですが、このように歳をとると、「多彩なものの見方」どころか、過去の事例からしかものごとを考えられない、創造性も多様性もない考え方をしてしまいがちなのです。

さらに、歳をとると、仕事上のミス、失敗もあまりしなくなるものですが、それを「亀の甲より年の功、流れの先が読めるようになったからだ」と思うのも勘違いの可能性があります。単に失敗することをしなくなっただけにすぎない、ということもあるのです。

そして何より、こうした「勘違い」を起こしてしまうのも、ひとえに前頭葉が老化しているからにほかなりません。

脳が老化してくると、「自分に心地よい」ことを好むようになります。それゆえ、自分の都合のよいようにものごとを解釈し、そして「自ら無理や苦労をすることを避ける、しなくなる」からです。

しかし――人生100年時代。40代、50代といってもある意味「まだまだ」なのです。こんなところで老け込んでいるわけにはいきません。いくつになっても、失敗を恐れず、どんな困難にも立ち向かっていくことです。

「若い頃の苦労は買ってでもするもの」といいますが、むしろ脳の老化防止のためにも、「歳をとってからの苦労は買ってでもするもの」なのです。

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