レジオネラ菌検出の老舗旅館前社長のこと

死んだ人を悪く書くことにしよう。ほんまに困った奴やったで。⇒レジオネラ菌検出の老舗旅館前社長が死亡、自殺か 遺書に「申し訳ない」

記者会見の様子から山田社長は典型的なハラッサーであることがわかる。ああいうタイプ(誰かに似ている泉房穂なども典型)を、最近の言葉では昭和のオヤジと呼ぶらしいが、そんなに格好いいものではない。狭義の、かつ教科書通りのモラルハラッサーなのだから、モラルハラッサーと呼べばいい。

モラルハラッサーは、言ってることややってることが千差万別でも、思考パターンは全て一緒。ハラッサーは常にどのタイミングでも人間関係を、支配/被支配と勝/負でしか考えていない。モラルハラッサーが往々にしていい人(明石の泉房穂が典型)や善行の人に見えるのはそのため。いい人であることや善行は、強力な他者支配の道具だからだ。ハラッサーは常に支配を考えている。そして実に巧妙に周囲の人を支配していく。いい人でいること、善行を重ねることという最強の武器を利用することもあれば、もっと直接的に暴力・暴言・金などの力で支配してくることもある。ハラッサーは常住坐臥「いかにして周囲を支配しコントロールするか」を考えているため、いわば「支配のプロ」になっている。因みに「支配の悪魔」はマキマ。よって、その支配は実に見事に進められていく。

だが、ハラッサーに支配された周囲の人はいずれ疲弊していく。疲弊が支配の構造に綻びを生む。その綻びは、一気に広がり、周囲が驚くようなカタストロフィカルな終末を迎える。この時、ハラッサーは、往々にして自殺を選ぶ。実はよくあるどころじゃない、このタイミングで自殺を選択することこそ、ハラッサーの典型中の典型なのだ。支配の構造が崩れた時点でハラッサーが自殺を選択するのは、なにも被害者へのお詫びや自分の罪深さを反省して、のことではない。自殺をしてみせれば、支配の構造が崩壊した後でも、支配の構造の中にいた人たちに罪悪感という支配を行使できるからに他ならない。であるから、ハラッサーは典型的な反応として自殺を選ぶのだ。

社長が自殺したことを、なにもそこまでしなくても…と思う必要はない。また後味が悪いと思う必要もない。あの社長は、没個性なまでにド典型のハラッサーでしかなく、だからこそ自殺という支配の道具を行使したにすぎない。典型的な最後と言わざるを得ない。

周囲の人間にできることは、あの社長の周りにいた人たちが社長の自殺になんの価値も見出さず、社長の自殺になんか興味がないと言える環境を作りあげることだ。被害者はあくまでも従業員たちである。その被害者に寄り添うならば、この社長の自殺に特別な意味を見出さず、むしろ冷酷に、お前は最後の最後までなんの才能もない典型的なベタなモラルハラッサーだったな、と吐き捨て、彼の支配に苦しんだ人々が何も重荷を感じないよう、「次いこ、次」と明るく振る舞ってやることしかない。

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