闘病記4 上司
長崎時代の上司は、仕事に厳しい人だった。
業績がなかなか上がらない状況を招いている原因の一つは、地元メンバーの甘えにあると見ていて、彼らをギリギリまで追い込んでいく。そんな手法に恨みさえ抱く者もいたように思う。
二人きりの本社からの出向組である僕に対しても、その他の部下たちに対するほどではなかったけれども、それでもやはり追いつめられたこともあった。
しかし単身赴任同士、毎晩のように飲み交わすのだがその席では日中の鉄仮面が嘘のように笑顔で饒舌に相手をしてくれる。
長崎最後の夜、いつものように二人で行きつけの焼き鳥屋でしこたま飲んで酔っ払って。
店を出てその人は路上で大泣きしながら抱きしめてくれた。
次の日、長崎空港まで社用車で送ってもらい別れを告げた。伊丹空港について携帯を確認したら「俺も人の子だから、長崎空港を飛び立つお前が乗った飛行機を車を止めて見ながら泣いた。がんばれよ」とメールが入ってた。
その上司は今はもう定年されたが、今でも2,3ヶ月に一度飲みに行き話を聞いてもらっている。