電気の生活
今年から大学生になった息子が論文作成のスキルを身につける授業の一環で、国内の発電政策に関する論文もどきを書いていた。内容はたわいないものではあるが、火力、水力、原子力、太陽光・風力等のエコ発電それぞれり発電量と、需用量の変化の数値とグラフはこの10年間の日本の変化を的確に示している。
私は、もともと原子力発電自体は肯定派であった。化石燃料資源をもたない日本が経済力と豊かなくらしを維持するためには、安全保障上発電リソースのポートフォリオ化は必須だという考え方だ。(ただし「もんじゅ」は別ね。液体ナトリウムを安全に制御できるわけがない。水がちょっと混じっただけで爆発する代物ですぜ)東日本震災のあと、関東では電力が逼迫した。計画停電や、企業の輪番休業などで、なんとか夏の発電量ピークをしのいだ形だ。だから、原発を順次停止するなんて狂気の沙汰だと思ってた。
しかし、である。結果として電力不足はその夏限りで日本のどこでも起こらなかった。もちろんそれは、企業を中心とした節電と、電力会社によるガスタービン発電の臨時増設などの努力の賜物である。そして、その後は自然エネルギー発電が徐々に増えてきた。
原発がなくても電力は足りる。これがいまの大方の日本人の感覚だろう。確かにそうだ。私も今ではそう思う。だから地震国の日本では原発はやめることにしたほうがいいだろう。
でも、CO2排出量はどうだろう。COP13のパリ議定書や米国のふるまいどころの話ではない。発電の大半を石炭燃料に頼ることにより、世界との約束を破り、CO2排出量は大幅に増加しているのだ。自動車のハイブリッド化やEV化の流れがそうであるように、世の中のエネルギー原は化石燃料から電気に向かうのが潮流だ。ただその電気を化石燃料で作っていたのでは元の木阿弥である。だから、日本は火力発電の比率は50%以下に下げなければならないはずである。「原発を停止するから仕方ないじゃん」は日本のエゴでしかない。無論、いくら増えてきたとはいえ、自然エネルギーなど新しいタイプの発電方式で電力の半分を賄うのは当分無理だろう。
それではどうするのか。例えば原子力発電をあと20-30年くらい徹底的に使い倒してみたらどうだろう、と思う。原子力発電を稼働すれば電気代を安くできるし、CO2排出量の約束も守れるだろう。その間に浮いた電気代を値下げに使うのではなく、新エネルギーの開発にあてるのである。太陽光・風力等の発電を増やすこと、効率を上げること、さらには別のエネルギー源を開発してもいい。少なくとも新しい技術を研究開発して商用ベースにのせるには、20-30年かかる。だから20-30年なのである。
その間に大地震が起きたらどうなるのか、という議論もあろう。でもこれは確率を意識した選択だ。震災後の対策で、東日本大震災と同規模の地震への備えはだいぶできてきた。30年の間に同じ規模を超えるの地震が起きる確率はゼロではないが限りなく低いだろう。であれば、その間に対策をしてしまえいう選択もあるということである。
私の考えた戯言がいい政策だとは決して思わないが、こういう大局的な選択肢を考えるので官僚であり、議論し、結論を出す、判断するのが政治家だろうと思う。