最近、体重の増加が気になって、「晩御飯はどうしようか」と考えながら歩いている私の目の前に、突然、一人の髭面の男が現れて、こう言いました。
「見よ!私は、飛ぶことが出来るのだ!」
そう言うと、フワフワと浮き上がっていくではないか⁈
「おお!すげぇ!すごいよ!」ってなって、投げ銭ぐらいは、出すかもしれない。
でも普通、「あなたは神です!帰依します!」ってならないと思うんですよ、普段から、そういうものを求めてないかぎり。
結局は、取り込まれるべき人が、取り込まれただけ、というか…
「真相が、まだわかってないうちに…」という批判が結構ありますけど、まあ何年たっても、真相なんて明らかにならなかったと思います。
暗示をかける本人も自己暗示にかかっちゃっているというか、恐らく、首謀者含めて、本人たちにも真相なんてわからないでしょう。
信じるのなら、インチキだろうが、ホンモノだろうが、その人の持つ「能力」ではなく「行い」を尊べ、と言いたいです。
信じるのは、その先の事でいいのではないか、と。
そもそも不思議な能力に対しての評価は、能力が「ある」ってことより、その能力を使って「した」ことに善し悪しつけるべきだと思います。
スーパーマンが偉いのは、その能力を使って、燃えさかるビルの屋上から、人を救出することにあって、同じ能力があっても、良いことに利用しないゾッド将軍は偉くない。
あの当時もそうだけど、宗教的行為の嘘を暴いても意味あんのかなぁ。
結局、信じる人は、信じるわけだから。
相変わらずの、若者論とかも無意味な気がする。言い過ぎか…
「何も解決されていない。きっと、また同じようなことが…」
まあ、そうでしょう。そうとしか言えない。
この問題では、随分儲けたであろうジャーナリストを称する司会業のおじいさんが、今の若者の多くが安倍政権を支持していることを「アレと同じだ!今の若者は危険だ!」と批判しているけど、どうかなぁ。
なんちゅうか、やたら社会や警察制度については批判的に述べるけど、当時の社会党党首を首相にした政権や政治については、見事にスルーしてるなぁ、という気がしました。
時の政権の”無策ぶり”の批評をしないのは、いかがなものか、と。
何かジャーナリストやら知識人やら学者は、この当時の政権を批判しちゃいけないという規範でもあるのでしょうか。
まあ「共謀罪」やら「破防法」に反対の立場だと、批判しにくいと言うのは、解らなくはないですが、で、安倍政権批判って、何か変な気がします。
田原総一朗×木村晋介×宮台真司 『オウム真理教、残された問題点とは?』
コメント
良記事読みました。ちょっと難しい用語が多いけど;
オウム信者の行動メカニズムはまだ未解明とする愚論(藤原かずえ)
http://agora-web.jp/archives/2033683.html
江川紹子さん「裁判記録をもっとよく読め!」