鈴木商店と聞いて、どんな会社だったかをすぐにイメージできる人はどれだけいるだろうか。たぶん、歴史の研究家でもない限り、そうそうはいないだろう。故城山三郎氏が名作の小説『鼠』で取り上げてはくれているが。
港が開港してから6年後の神戸で1874年に創業、世界に進出して積極的に事業展開した総合商社だ。第一次大戦の際には物資を列強に売りまくり、一時は「SUZUKI」の名前が世界を席巻したそうな。しかし、昭和初期の金融恐慌で経営が悪化、1927年に破たんした。それからもう今年で90年、だからこそ知名度も乏しいのではないだろうか。
私が鈴木商店のことを知ったのは、もう20年くらい前だろうか。『栄光なき天才たち』という漫画で、同社躍進と凋落の象徴的存在、番頭(専務)の金子直吉を軸として描かれていた。とても強烈なストーリーが印象に残っていた。兵庫県人の1人として、同社の存在が知られていないのは本当に残念…と以前から悔しく思っていた。
それが今年、地元・神戸新聞の記者たちが、同社の軌跡を丹念に追い掛け連載した記事が、一冊の本になったという。これはもう嬉しい限り。本当に、風化と闘いつつも、出来る限りの情報を集め、鈴木商店の姿を正しく描こうとした姿勢に、心から敬意を表したい。
鈴木商店は明治から大正にかけて、猛烈なスピードで事業を多角化させていった。製鉄、製糖、繊維、海運、化学、ビールやウイスキーの醸造、石油販売、木材加工、薄荷製造…。最盛期には60社を超す巨大コンツェルンを形成した。物づくりの意義に目覚め、日本の近代化に貢献したいとの強い思いからだった。
金子と店主(社長)の鈴木よね、金子を支えた支配人の西川文蔵、ロンドン支店長などを歴任した高畑誠一…。精鋭たちを集め、世界をまたにかけて活躍していくその姿は小気味良い。
しかし、事業の手を広げることにのめり込み過ぎ、経営の近代化に後れを取った結果、規模の急拡大は次第に鈴木商店の土台を揺るがすことになっていく。社内での路線対立、第一次大戦後の急速な景気悪化などが重なり、メーンバンク制も取っていなかった鈴木商店は窮地に追い込まれていく。金子らによる懸命の金策もむなしく、最後は力尽きる。
だが、鈴木商店が撒いた種は、同社が倒れた後も、IHI、神戸製鋼所、商船三井、帝人、双日、三菱ケミカル、サッポロビール、ニッカウヰスキーといった錚々たる企業が事業を継承、発展させ、日本の経済成長に大きく貢献していく。
難問にも果敢に挑み、決してあきらめない。現場を重視し、技術革新など創意工夫を凝らす。若い人を積極的に登用する。そうした鈴木の姿勢は、現代日本の企業にとっても、大いに刺激となり、道しるべとなってくれるのではなかろうか。
新聞社の連載だけあって、淡々と、しかしじっくりと事実を掘り起こし、積み上げていく。小説のようなドラマティックな展開や描写を期待すると、肩透かしを食うが、鈴木の生きた歴史をここまで復元してくれた功績は大きい。
この本のテーマは、鈴木商店礼賛一辺倒ではなく、鈴木の成功と挫折は何を残したのか、鈴木の生きざまから何を学べるのか、という点だ。識者も交えて、そうした点にさまざまな答えを示してくれる。そこがまた、本書の価値を高めている。
取材班はあとがきで、次のように記している。
鈴木が生んだ技術や企業、政財界を代表する人材など遺産の大きさを再認識することになった。さらに、ものづくりへの情熱を燃やした金子の生きざまや鈴木よねの胆力、破綻に至る当時の社会情勢、組織の閉塞性など新たな発見や多様な見方を示せたのではないかと自負している。人によって教訓の受け止め方は違うだろうが、先の見通せない現代を生き抜く一筋の光明になればと願う。
ちなみに、この取材を続ける中で明らかになった事実だが、鈴木商店は、実は破綻した後も、会社清算の手続きが完了しておらず、登記上は現存していたんだそうな。手続きをすれば復活させることが可能だという。いつか再興させる、という金子ら関係者の執念だったのだろうか。
取材班のひとたちも言及したように、まさに「鈴木」魂が永遠に、貴重な教訓として、そして日本を正しい方向に導く羅針盤として、受け継がれることを祈る。
http://kobe-yomitai.jp/book/379/