「ロケット」と呼ばれた男。

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「ロケット・ササキ ジョブズが憧れた伝説のエンジニア・佐々木正」

(大西康之著、新潮社)

若き日のスティーブ・ジョブズが憧れ、同じく若き日の孫正義が頼った伝説の日本人がいた。この本の主人公、佐々木正氏だ。

1915年生まれ。第二次大戦中は軍需産業の技術者として兵器開発に加わった。戦後はシャープで電卓の開発競争の陣頭指揮を執り、巨大な計算機だった電卓を、ポケットに入るサイズにまで小型化することに成功。その卓越した技術力で世界を驚かせ、日本を代表する電機メーカーの一角に同社を押し上げた功労者だ。まさに「電子立国・日本の立役者の1人」でもあった。

彼は「ロケット・ササキ」の愛称で呼ばれた。名付けたのは、ある技術を共同開発していた米国人技術者たち。その恐ろしく豊かな発想力と猛烈な行動力を評したのだった。

「戦闘機のスピードではササキには追いつけない。ロケット・ササキだ」

米国人技術者たちは舌を巻き、そして尊敬の念を持って彼を心から信頼したのだ。

「足を止めたら負ける」。佐々木は常にこの感覚で事業を動かしていた。どんなにシェアを取っても、次への備えを忘れてはいけない。それがデジタルの世界で生きるものの運命(さだめ)であることを佐々木は知っていた。

猛烈なスピードは、そんな焦燥感が根底にあったのだろう。どんな苦境にぶち当たってもあきらめず、死力を尽くし、奔放に考えを巡らせ、多様な人たちの力を借り、そして時には自らも力を提供し、局面打開を図る。絶えず全力疾走してきた猛烈な彼の生きざまには、読む人は何らかの感動を必ず覚えるだろう。

彼が一貫して大事にしてきたのが、「共創」という概念だ。彼は部下に、次のように語り掛ける。

「いいかい、君たち。分からなければ聞けばいい。持っていないなら借りればいい。逆に聞かれたら教えるべきだし、持っているものは与えるべきだ。人間、一人でできることなど高が知れている。技術の世界はみんなで共に創る『共創』が肝心だ」

しかし、彼が命を削るほど頑張ってきたシャープの後輩たちは、次第に進取の気概を失い、暴走を始め、「共創」とは程遠い状態となる。「オンリーワン」と称して液晶技術にのめり込み、ロケットのように自由に事業を推進する力を自ら失っていく。

経営が日に日に悪化する中、窮状を脱するヒントの教えを乞おうとやってきた当時の社長を、彼はこう戒める。

「我々日本メーカーはアメリカに半導体を教わった。半導体で日本に追い付かれたアメリカはインターネットに飛び移り、グーグルが生まれた。わからなければ教えを請う。請われれば教える。人類はそうやって進歩してきたんだ。技術の独り占めは、長い目で見れば会社にとってマイナスになる」

シャープをはじめ、日本の電機産業はすっかり影が薄くなってしまった。本書が、その理由の一端を見事に浮き上がらせているように思える。輝きを取り戻すのに、まだ間に合うだろうか。

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