『9・11の標的をつくった男 天才と差別―建築家ミノル・ヤマサキの生涯』
(飯塚真紀子著、講談社)
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もはや伝説となったテレビ番組のアメリカ横断ウルトラクイズ。ニューヨークの決勝戦は、必ず摩天楼が映し出された。その背景にいつも見えたのが、2棟がそびえたつワールドトレードセンター(WTC)。当時は田舎の学生だったもんで、おおアメリカ!といつも興奮していた。
もしウルトラクイズが2001年まで続いていて、ニューヨークで決勝戦の予定だったら、きっと大混乱だっただろう。だいたい、9月末から10月頭くらいだったかと記憶しているので、ニューヨークには入れず、アメリカ国内で立ち往生していたのでは?などと考える。
そのWTCを設計したのが、日系人建築家のミノル・ヤマサキだった。常に人種差別に悩まされながらも、設計の実績を重ね、数々の賞を獲得。そして当時としては前代未聞の巨大プロジェクトへの参画を勝ち取り、日系人として初めて雑誌タイムの表紙を飾るほど注目を集めた。日本でも、シェラトン都ホテル東京などの設計を手掛けた。しかし、その波乱に満ちた人生と功績は今、決して広く語り継がれているとは言い難い。歴史の谷間に埋もれかけていた、そんな彼の人生に光を当てた力作だ。
ミノルは権威主義的な建築を嫌い、「建築は”人間の視点”から作られなくてはならない」との信念を持ち、「威圧するのではなく、人々を鼓舞し、元気づけ、その生活に奉仕するような建築。建築における人間性の回復」を目指した。WTCは発注元の強い意向もあって、そうした理念を盛り込むことは至難の業だったが、何とかその萌芽を残そうと苦闘した。
権威に挑み続けた反逆の人であり、サービス精神旺盛で、クライアントへのプレゼンは抜群のうまさを誇った。半面、プレーボーイで4度結婚し、同じ建築界の成功者に激しく嫉妬し、同じ事務所の人間の意見は聞かず独善を通し、気に入らないスタッフは情け容赦なく解雇するなど、聖人君子ではない人間臭さが溢れていた。建物に込めた想いは一貫して変わらなかった。
仕事を通じて中東と浅からぬ関係があったのも、WTCの因縁のようだ。冒頭で描かれる、WTCの崩壊現場に写真家となったミノルの息子が訪れるシーンはとても印象的だ。ミノルは9・11の15年前に73歳で世を去ったが、もしあの崩壊を目の当たりにしていたら、どう思っただろうか。
著者は語る。「最後に、9・11で失われた命に黙祷を捧げたく思う。ミノルが建物に託した信念は永遠であると信じながら」。全くの同感だ。どんな建築物であっても、彼の理念は未来永劫、語り継がれてほしい。