兵庫 義の闘い 番外編
番外編
8月11日、神戸三宮ジュンク堂書店にて勝谷誠彦出版記念サイン会があると言う連絡を色々な方から頂いた。最近何とか慣れようと頑張っている「顔本」にも様々な情報が流れてきていた。
私自身当日はガッツリ仕事だったし、××な日々の中で勝谷さんの「気まぐれな筆」により、当人が望む望まざるなど全く関係なく命名され、イメージをべったり塗装されてしまっていた私などがノコノコ行くと「如何にも」だし、人によっては「また出たがりが来ている」などと後ろ指されるのも本望では無い。だから私は私と。自分の役目を淡々とこなし、仕事の段取りを進めていた。
選挙戦の中、候補者本人がやることや動きなどは実は限られていて、日記にしてしまうと恐らくは単調で面白くない文章になってしまうのだろうと勝手に思う。作家である「候補者本人は」その筆により様々な味付けをしながら平面の文章に厚みや奥行きを持たせ、静と動を描いて行く。その作業の中でたまたまキャラクターが分かりやすい登場人物が「いけにえ」になって行ったのだろう。
何をゴーマンな事を言うとおっしゃる方もあるだろうが、正直な私の思いだ。
それは、私はずっと選挙戦を支え続けて頂いていた方々の熱を、働きぶりを、苦労を垣間見て来ていたから言っているのだ。
私などよりもずっと早い時期から目立たぬところで段取りに、積み込みに設営に、会議や雑用などもこなしてこられたA川さん、K谷さん、Y埼さんなどの方々をはじめ、無数の縁の下の方がずっと支え続けてこられていたのだ。
ガニーI田さん(もはやイニシャルの意味なし(笑))は自宅が近いと言う事もあり勝谷さんの脇をガッツリ固め、事務所ではジェシーK埼さん、デジボなど様々な兼任事案を抱えながらムスリムM田さん(顔本の写真より勝手に命名(笑))、インドネシアY中さんなども見えぬところで地道に段取りに動き続けていた。私などの振ればカラカラ音が鳴るほど空っぽなアタマの人間では扱いすらままならないデジタル作業ではT中さんなどの頭脳がヨロンさんと知恵を出し合い作業をとりまとめ、M本さんなど事務所まで距離がある方などは各々の場所でまさに内職のようなデジボの作業を地道に続けて頂いていた。
こうして俯瞰してみると、ヨロン、タイチと言う両指揮官のもと、結果的に「縦割り」に物事が進み、それぞれの顔など見えぬまま走り続けていた。各人は自分の持ち場で懸命に働いていたが、それまでの自分の持ち場や合同で進める作業の場で見慣れぬ人が参加すると、「あの人誰?」「知らない人が勝手にやっている」などとの苦情がいつしか私に寄せられるようになっていた。なんとなくアホそうで、暇そうな私には何でも言いやすかったのだろう。ドライバーの交代が来ない、朝来たのに事務所に誰もいない、○○がこんなことを言っている、S木K子がボランティアなどみんなポンコツで糞の役にも立たないと言っている、さらにSさんの事を「あの人ダイジョウブなの??」とタイチさんに詰め寄っていた等々あらゆる問題や苦情や情報が集まって来るようになっていた。そのほとんどは私自身全く与り知らぬ持ち場での話しであったので、まずは話を聞いて、頭を下げ、何とか関係者と繋いでできる限り解決に動いたが、私個人ではどうしようもない事などはヨロンさん、タイチさん、に話しを上げて、深夜まで善後策を話し合ったりもした。
その中の多くの事案は、その日の夜に反省会をするだとか、各部門の関係者全員集合!!の飲み会でも開催し結束していれば解決するような問題だったが、そんな余裕もなく業務に追われるまま最後まで走ってしまった。それぞれの場所で懸命に働き、義の心を持って健気に役目を果たしていく戦友たちの誤解や齟齬を解消できぬまま散って行ったことが個人的には残念で残念で、心残りであった。
結果的に最も底辺の澱みの中、人々の妬みや嫉みなどの一番醜いところのフォローを続けることとなり、人間的には貴重な経験をさせて頂いたと思うが、「なんかもうコワイわ」と言う気持ちが勝ってしまい、11日は遠慮させて頂くことにした。
そんなこんなの10日夜、仕事を終えて晩飯を食べているとメールが入った。ジュンク堂のイベントの後、内輪で飲もうかと言うことになっているとのことだった。Sさんも行こう!!とお誘い頂いたのだが、もう仕事の段取りはしているし、もういいかと思っていたのだが、11日午後の予定が1日延び、予期せず時間が出来てしまった。これは行ってこい!と言われているような気がしたのと、後述するがしょうもない用事もあったので、昼過ぎまで仕事をこなして向かうことにした。
バスに揺られること1時間半、連休初日と言うこともあり散発的に渋滞に遭いながら三宮駅に到着した直後、近くのスーパーに向かおうと信号待ちをしていると「Sさぁ~ん!!!」と黄色い!?よく通るいい声が聞こえて来た。誰?ダレ?どこ?と振り返ると「日本一のウグイス嬢!」Y慶さんが鍔の広い素敵なパナマ帽を被って立っていた。選挙期間中ならばまだしも、年に数回しか来ない三宮の雑踏の中である。驚きを通り越して、どこか懐かしさとあまりの突然に呆然とした。うわ~!偶然!びっくりしたわ!とお互い笑いあった。「勝谷先生のサイン会の後、娘とウグイスさんを連れて、観光がてらお買いものをして、今ウグイスさんたちを送って行ったところなんです」。と。
おそらく私はサイン会に遅れたのだろうと思われていたのかどうなのか分からないが、「いや今サイン会の打ち上げを元町でやっているらしいので、顔だけ出しに行こうかと思っているんです。ここでお会いしたのも何かのご縁でしょうし一緒に行きませんか?」とお誘いした。「では、せっかくなので間に合えば後でおじゃまします。」と言う事でお別れし、その足で近くの食品スーパーへ立ち寄り、お目当てのブツを購入した。
「ブラザーソース!!」私の記憶に刻み込まれた味である。
生まれ育った漁師町には、沖帰りの漁師たちが小腹満たしに立ち寄るお好み焼き屋が点々とある。いずれも駄菓子屋の中にあって、釣りや潜りなどに行った時の昼飯は決まって焼きそばとすじ豚玉だった。そんなお好み屋のソースが神戸市兵庫区で作られている「兄弟ソース」だったのだ。何度チャレンジしても他のソースではどこか物足らないので、仙台にいた時も取り寄せていた。今は京都の山奥にあって、当然どこのお店にもこの神戸の地ソースなど置いてもいないし、誰も知らないだろう。そんな小っちゃなこだわりのストックを買いに寄った。
せっかくの神戸なのに選挙期間中はゆっくり街を歩くことも出来なかったので、知人のお店に顔を出しながら元町まで歩いて向かった。友人知人に会う度ひとこと目が「残念やったなあ~!」だった。全員同じだった。(笑)そやねん、皆さんありがとうね。と挨拶して回った。
会場のお店に到着し、階段を上がるとジェシーK埼さんとバッタリ。靴を脱いで上がると悲鳴ともなく何とも言えぬ騒ぎだったが、はじめは皆さん盛り上がっているなあ!と思ったが、気付くとみんな私を見ている。正直驚きで固まってしまった。「オイオイもうええって!!」と、恥ずかしいやらなにやらで申し訳なくなった。
懐かしき義のメンバーが集結していた。考えてみればあの日、簡単な打ち上げのあと、まともに話すこともできなかったので懐かしさと感謝の気持ちがこみ上げてきて、胸に迫るものがあった。この日来られなかった方々の姿を探したが、皆さんそれぞれにお忙しかったのだろう。
私が到着するのが遅かったため、話したい事の半分も話せなかったが、このメンバーとはまたいずれ必ずやお会いするだろうと、次の機会に譲ろうと思った。
参謀総長の開拓したお店にお邪魔し、懐かしの「あ食堂」の方々に挨拶へ行けたのもうれしかった。何度このお店でも会議とも打ち上げともつかない寄り合いをやったことか。店の方々も心からの笑顔で迎えてくれた。
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当然帰る手段も無く(笑)、朝までぼちぼち飲むのにお付き合いいただいた方をお見送りし、始発電車で実家へ向かい、先祖の墓参りに行った。そのまま実家で2日ほどいようかと思っていたが、昼過ぎに電話が鳴り、戻る羽目に。そうだ、仕事が1日ずれたのだった。(泣)
「64万人の魂 兵庫知事選記」はそれぞれの義の上に綴られ、誤字脱字の嵐をわずか3日間でまとめあげて頂いた編集者M嬢には脱帽するしかないが、それぞれの力は小さなものでも全国各地からの義心の結晶だと思うと一気に読んでしまうのはもったいなくて一字一句を噛み締めながら大事に読み進めている。
みなさんの顔を思い浮かべながら。