兵庫 義の闘い vol.5
vol.5
6月3日土曜日。8時集合の後会場へ移動。
15キロ20分ほど走る。
淡路サンシャインホール到着。
これまでの兵庫県各地の比較的新しいホールの仕様と似ていて、300名程度の収容人数で、P.A.の音質も申し分なくこじんまりしていて実用的なホールだった。
施設管理の方も実に協力的で、設営の協力してくれる勢いでアドバイスを頂く。ありがたい。更に、地域のディープで生臭い情報や、島ならではの選挙情報などもささやいて頂いた。
設営も順調に進み、淡路の生命線である国道28号沿いにまで幟を設置した。
一息つく間もなく、今や鬼将兵と成長した(笑)タイチ参謀の「下知!!」のもと(笑)A川さんをウグイスに乗せ、講演会告知街宣へと出撃したのである。(アホ)m(__)m
数百メートル先にある淡路市役所周辺には数百人にも及ぶ人々が群れていた。おお!!これは、すわ満席か!!と思った。
しかしどうも様子が違う。祭りやイベントのように出店や屋台なども皆無。ただただ警備員の姿が目立つ。
そんな地域をぐるりと回り、数キロに渡り集落などを中心に街宣を続けた。
開演1時間前に戻り、管理者の方に群衆の意味を教えて頂いた。
最近全国各地で物議を醸している「地域活性化」と言うもはや何がやりたいのかも甚だ疑問な「政策」が大手を振っているが、私の感覚で言えば「首長をはじめ痴呆議員や糞役人共の無能さを暴露」しているような政策である「プレミアム付き商品券」の発売日だったのだ。
私のような政治屋、役人不信の者は、住む地域の痴呆議員のホームページやブログを時折チェックしていて、そこから分かることもある。
この淡路市におかれても、このP商品券をバラまくにあたり、痴呆議員の何名かは先にP商品券をバラまいた実績のあるこれまた出来損ないの痴呆の役所や議員の元へ「視察と言う慰安旅行」へ行っている。その遊び先で「これはスバラシイ!!政策だ!!」と。夜は宴会、買春して乱痴気騒ぎして、何食わぬ顔で持ち帰り、後は「仕事しているふり役人」に丸投げで、さあ!!発売となるわけだ。
そして関西では。
<「購入上限2冊」プレミアム商品券 5冊の町長と30冊の前議長、ともに「辞めません」 特別委は「不信任など検討」>
http://www.sankei.com/west/news/151208/wst1512080046-n1.html
こんなもの氷山の一角である。私のよく知るA市の市会議員は嫁が代表の商店の客に・・・・・・・・。
多かれ少なかれ糞議員どもはみんなやっている。親族や関係者をうまく隠れ蓑にしながら、オノレの銭と票のために。
第一次産業がメインの淡路島にあって、イオンなどの悪徳ブローカーに買い叩かれる立場の住民にとっては、目先のお得にはやはり魅力があり、健気な群衆が支那などとは対極の規則正しさで整然と販売を待っている姿に「前へならえ!!」と指導を受けて来た日本の教育の素晴らしさを想う。
しかし、先に書いた福崎町のリアルな河童オブジェなど、最初の予算はおそらく数百万。その後観光客が増えぼちぼち予算を増やして行ったのだろうが確実に町への利益は上がっている。マスコミへの露出だけでも広告費など掛けずとも勝手に取材が殺到し、報道してくれる。
その地域にまつわる物語を「現代訳」して「分かりやすく具現化する」と言う簡単な作業で利益を上げる方々と、数千万円をバラまいてセンズリしているクズ共との真っ当な比較も出来ない市民を作って来たのはいったい誰だ!?
16キロあまり、25分程の移動。
途中、移動の道沿いにあるタイチさんの田舎へ立ち寄る。
タイチさんがズカズカと入って行き、勝谷さんも御年90をこえてまだまだお元気なおばあさんと談笑する中、自動車修理業のご親戚の方々とお話しした。皆さん最新型の選挙カーに興味深々で、天井ステージの取り付け具合や照明、アタッチメントの溶接具合などの詳細をチェックしていた。
これよりこの整備工場には淡路の選挙カーを一手に引き受けて儲けて頂きたいと思うが、そんなド厚かましさなど微塵もなく、彼らの興味は只々「職人のそれ」であった。業種は違えど、職に関する知識などはいつかどこかで役立つことがあるのだ。こうした素敵な職人魂に触れる事は私にとっては何よりの幸せである。日本の、いや世界の縁の下を支えているのは実はこうした職人達の地道な努力があるのだ。
目に鼻に強烈なカオリを残してくれる玉ねぎの差し入れを頂き、会場へ向かった。
洲本市民交流センター到着。
陸上競技場、室内プール、各種会議室などを備える大きな施設であった。
ホールのある建物はおそらくは35年前くらいの竣工だろうか。とにかくどこもかもが「バリアアリー」である。一部は簡易スロープなどでごまかしてはいるが、根本的な解決などには程遠い。どこの公共施設でも見かける「役人によるやったふりアリバイ仕事」丸出し。
講演会場のホールに上がるには急な階段を20段ほど登らねばならない。
ここの講演会告知も新聞折り込みチラシと移動中の街宣告知くらいなので、来場者の年齢層は非常に高い。急な階段を見上げて立ち尽くすお年寄りが何人いたことか。
広い会場の車動線や館内動線へ幟を立て、舞台看板、受け付け設置とすでに会話など必要ないくらいの連携で設置完了。
昔ながらの館内食堂で、私が作った方がはるかに美味い(失礼)定食をかきこむ。
この頃から私は講演会の前半は会場に立ち入らないようになっていた。
ヨロン参謀総長が三宮の大本営を死守しているので、講演会の前説を「勝谷事務所のマダニ」し〇き〇い〇がやっていた。何せ違和感がありすぎて。。。普通前説なので自己紹介するならば、まあ名字を名乗るのが自然だろう。しかしこのパンパンマダニはわざわざフルネームで自己紹介するのだ。「それ、必要か??」。
しかも会を追って前説が長くめんどくさくなって行った。明らかにオノレに酔い悦に入るの地獄絵である。
後々、TV業界、マスコミ、政治屋、裏社会等々の地獄を這うような私の情報網を駆使して「カオナシパンパンマダニ」の情報を集めたが、まあどこからもコイツを擁護するような情報は皆無。やらかして来た問題行動や汚い小金の話しばかりだった。
講演会は無事終わり、会場前面道路に停めた街宣車の屋根の上に立てた幟を片付けていると、車の脇にスーパーカブが停まった。小さな声が聞こえたので降りてゆくと、腰の曲がったおばあさんが私を見上げていた。
「あんたらほんまになんとかせなアカン!!」「がんばってよ!!」と励まされ、明らかにばあちゃんたちが楽しむために購入したこと丸わかりの饅頭やおかきなどの入ったレジ袋を渡されかけたが丁重にご遠慮した。カブにまたがりよろよろと走り去るばあちゃんの後ろ姿を見送ったが、「運転手が確認できない」ほど腰が曲がっていて大丈夫かいな!?と心配したが、まあ田舎では日常の風景なのだろう。
15キロあまり、20分程の移動。
南あわじ中央公民館到着。
途中の車から見える畑には、農道脇に車が並び忙しく作業する人々の姿が目についた。
この会館も新旧の建物が複雑につながっていて、無論「バリアアリー」乙。
資材搬入にもえらい手間がかかった。更に施設のおばちゃんは「この線より外への幟の設置は禁止」などと両手を広げながら威嚇してきた。私は建屋の外や敷地内への設置はダメと言う事は理解したので、一番目立つ場所に街宣車を停め「いつもよりよけいに設置してやります」とばかりに街宣車をかざりたてた。
ここで勝谷さんに歩み寄る一団が。。アメリカの読者の方が起動させて頂いた方々だった。今朝収獲したばかりだと言う大量の玉ねぎと玉ねぎグッズを差し入れに持って来て頂いた。(玉ねぎ類が苦手な勝谷さんの複雑な顔が笑えた)
この地域では玉ねぎ収獲シーズンの一番忙しいこの時期に、なんでわざわざ講演会をセットするのか!?と笑われてしまった。
どうりで来場者が少ないはずだ。まだ日がある時間だったので、田植えや稲刈りシーズン並みに里帰りしている家族達と片付けに、「ツカレナオスビール」に忙しかったのだろう。
急ぎ撤収の後、一路小野市へ向かい出発。
明石海峡大橋を渡り100キロあまり、2時間弱の移動。
人影はもちろんの事、すれ違う車もほとんど無い、工業団地の中にポツンと建つホテル到着。21時を回っていた。
ホテルの食堂もクローズで人けも無い。宅配の「毛唐お好み焼きもどき」でも食うことになるのだろうか?と不安になったが、フロントの方が即座にタクシーを手配してくれ、お勧めの料理屋さんを紹介してくれた。
急ぎ向かう!!
https://tabelog.com/hyogo/A2804/A280403/28026027/
石焼 とり翔。
ご夫婦で回しておられるいい店だった。ロースターで播州地鶏を焼くシステムだった。日本酒の品ぞろえもスバラシイ。
いつも私は、個人経営のお店であれば店主の方に話に行き、店の方の反応を見て勝谷さんとの会話の場をセットするようにしていた。ご店主は勝谷来店をとても喜んでくれていて、勝谷さんのトイレタイムに合わせて店主とお話し、サイン、撮影会と一票につながる地道な活動を続けていた。特に日本酒に関して話しは盛り上がり、まだ持っていない勝谷さんの著書を買いに行きますと言って頂いた。
繁華街では決してない街はずれにはタクシーは既になく、亭主の奥さんがスーパーロングのハイエースで私達を送ってくれたのだった。
翌日早朝の加西特攻作戦に備えて早々に爆睡するのであった。