兵庫 義の闘い vol.6
vol.6
小野市の居酒屋さんで私は腹をくくったことがある。
私達が通された奥の座敷には先客がいた。10人ほどの男のグループだった。勝谷さんが入って行ったのを見て反応した人が数人いたが、その後は何の反応も無く、こちらの会話が成り立たないほどの大声で、ひたすらオタクの話しで盛り上がり続けるのだった。
これは本当にヤバイんとちゃうやろか?と思ったのだ。
とにかくこちらが勝つには何を置いても投票率を上げねばならないのだが、日々肌で感じる知事選挙への認知、興味はとても薄いものだった。
しかもマスコミでは東京都議選挙でもちきり。兵庫のヒの字も聞こえては来ない。
そこで私はこの居酒屋で宣言した。
もしも最後まで兵庫知事選挙が盛り上がらなければ、
「沖縄へ飛ぶ!!」と。。。宣言した。(意味不明)(笑)
今の日本で最も義の対極にいる人間はだれかと考えてみたら、それは永田町周辺や信濃町などには腐るほどいるにはいるが、マスコミ受けしそうな人物と言えば沖縄県知事翁長だろうと考えた。
そこで少しでもマスコミを使い報道してもらうには、私が真っ青な義のTシャツを着て沖縄県知事翁長こと「ヅラりひょん」の「ヅラをむしり取りに行く!!」映像が大マスコミのニュースで流れる事で少しでも投票率アップに貢献できるのならばと考えたのだ。アホである。(笑)
しかし私は本気半分であった。
翌日知り合いの弁護士にどういった罪に問われるのか、何日くらい食らうのか、保釈金は・・・等々を聞いた。
同時に沖縄の友人やネットなどでヅラりひょんの動向、マスコミのカメラが集まる先の予定などを調べ始めた。
口を開けば「沖縄の自由!!沖縄は差別され政府に欺かれている!!」などと口汚いが、県民、国民を、毎日強固なヘルメットを被り欺き続けているのはヅラりひょんの方であるのは明らかだろう。
まさに「義の対極の欺」である。
とりあえず、傷害罪、窃盗罪、暴行罪などが想定され、相手の立場もあるので最短でも30日は勾留されるとの想定だった。
私はタイチさんに「もしものことが起こったら沖縄までガラ受けに来てくれるよう」お願いしたのだった。
アホなキチガイである。まあ、候補者本人もキチ・・もといアブナイ方面の方なので類は友ということで笑って忘れて頂きたい。
6月4日日曜日。小野市の工業団地に建つホテル。加西特攻部隊午前6時集合。
加西市は何故だか講演会の折り込み広告が出来なかった。この地を地盤とする西のマック赤坂こと中川ちょうぞう候補が圧力を掛けたなどとは全く思えないが、他の勢力の、地域の忖度があったのか無かったのかどうでもいいのだが、とにかく講演会は行うのだが、SNSなどのネット告知以外は何の告知も無いのはあまりにもったいない。
と言う事で加西特攻ポスティング・街宣告知部隊と小野市講演会部隊と別れての出撃となった。
ガニーI田さんが操る街宣車、正義の天女たるK谷さんが駆るワインレッドの工作車。横浜の白い狼!、ネイビーサブマリンガニーI田号と積み替え等の準備をしていると、「おはよう!!」と勝谷さんが駐車場へ降りて来てくれた。
タイチさんをはじめ、先発部隊がピリピリ段取りする中、独特の軽口で部隊を鼓舞してくれるが、タイチさんは明らかにイラ立っていた。(笑)
勝谷さんが軍歌をもって鼓舞してくれるので、私も調子に乗って
「♪朝~だ夜明け~だ潮の息吹~う~んと吸い込~むあかがね色の
♪」と歌いながら積み込みを終え、行ってきます!!といざ加西へ向け走り出した。
25キロ弱、45分程を走ると加西市の中心部到着。
ガニー街宣車には大阪マダムH田さん、義の天女K谷さん号には私を乗せて頂き、講演会場である加西市民会館周辺の戸建て、ハイツ、マンションなどに講演会チラシをポストインして回った。
もちろんのこと、「すぐに確認していただけるポスト」を目がけて!!
外付けのポスト、生活感のないポスト、カルト宗教団体創価や幸福のなんちゃらなどのポスターが張られている住宅などには一切ポストインすることなく、小野市の講演会を終えた本体が到着するまでに合計1000枚と少しを配り終えた。
配っている途中には、地域のおばあちゃんやじいちゃんと色々話をした。その中で、美味しいお茶をわざわざ淹れて頂いて様々な地域の問題点をお話し頂いた齢94才のおばあちゃんの語る話には、県や市町村への不信感があふれていた。その話も全てレポートにまとめて「ご本人さん」にお渡ししたが、選挙戦の激務の中読んだのかどうなのか・・・。
チラシが底をつき、分かりやすいコンビニにガニーさんと落ち合い、チラシをコピーしまくっていたらトナーが切れてしまい、慣れないコンビニの方に変わり私がセットして再開できた。そんなご縁もありこの七・十一コンビニ(普段私はほとんど行かないコンビニ)の方々には選挙戦後半までも仲良くして頂いた。
ポスティングの私達と、街宣告知のガニー街宣車と別れ昼過ぎまで活動して昼食のあと、七・十一の駐車場で本体と合流。
私はすぐに違和感が・・・・・・。
今も私のスマホには腐るほど画像が残っているが、ガニー街宣車の後には黒のレガシーと、シルバーのトヨタ車が付かず離れずついて来ていた。七・十一の駐車場で前乗りしていた私は全てを見ていた。
トヨタ車にはおそらく・・・・が乗り、レガシーには・・・・が乗っていた。不自然に駐車場を移動する2台。眼つきと・・・をみれば一目瞭然。(笑)
店内に入って行く勝谷さん。
○○するレガシーの方々。
“私は全部見てるで!!”と言う事で、店の方々との和やかな交流を終え出て来た勝谷さんに耳打ちした。
「あの車とあの車!」私は隠語サインとして「親指と人差し指で〇を作るいわゆるOKサインを眉間につけて」「ポリですわ!!あいつら!」「向こうは○○、こっちは○○ですわ!」と報告すると、さすがキチ・・もとい、正義の男、黒のレガシーに歩み寄り運転席のガラスをノックし「お前ら・・・・・・・・!!!!」(書けませんm(__)m)とお話ししだすのであった。
勝谷さんが意気揚々と私達の方にもどって来て30秒も経たないうちに、レガシーともう一台は、田舎の県道の40キロ制限など関係ないかのごとく、恐るべきスピードとテクニックで走り去って行った。
この時から私は「公安、警察関係者の監視、撮影」を押し付けられることとなったのだった。
講演まで時間があったので、ガニーさんの案内で鶉野飛行場を訪れた。
http://www.uzurano-hikoujou.com/
事前に勝谷さんにもここの資料を渡していた。おそらくはそう頻繁には来られない立地なので是非にも訪れて欲しいと思っていた。
旧海軍の飛行場であるこの滑走路から、二度と戻らぬ出撃をして行った特攻隊員に思いをはせる。
神風特攻隊「白鷺隊」21機63名の搭乗員たちの名が刻まれた、鶉野平和祈念の碑と言う立派な石碑が建っている。
それぞれに黙とう、あるいはご英霊に誠をささげる。
記念碑を蔑ろにするようにして左最前に黒い御影石が立っていた。碑文には加西市長の名前や、記念碑を建てるため協賛した土建屋などの名前がこれ見よがしに書かれていた。私のような市井の者でも「こんな恥知らずな所に…」と憤慨していたら勝谷さんが「こいつらアホちゃうか!!どうでもええこんな石碑一番後ろの目立たんとこに置くのが日本人やろ!!」と叫んでいた。
未だ往時の面影を残す広大な飛行場を前にして「これはもったいない!!いろんな事に使えるやん!!」と勝谷さん。
この地を「活かす」アイデアが次々と皆から湧いて出て来る。
加西市民会館 小ホール。
建屋自体は立派なもので、アプローチや1階フロアなどは清潔な吹き抜けがあり、接続がめんどくさそうなフリーWi-Fiもあるオープンスペースも完備していた。
講演会場は2階の会場であった。駐車場からの搬入路が長い。エレベーターも半畳位しかないが仕方がない。
相変わらずの能面のような役人仕事ぶり満載の管理者に説明を受ける。
受け付けを設営し、窓側に並ぶソファにしばし腰を下ろすと、壁際のガラスケースには虎のはく製や鎧兜諸々が陳列されていた。勝谷さん曰く、「こんなもんワシントン条約で即アウトやろ!!」「どこぞの元極道が寄贈したんちゃうかと思うような趣味やなぁ!?」などと言いながら至極当たり前な感想で笑い合った。
告知云々もあったのだろうが、若干さみしい聴衆の中、一人張り切るカオナシパンパンマダニS木K。もううんざりだが仕方がない。ここがタイやフィリピンだったならば、前日にはスッキリ「クリーン」していたのだが、残念ながら日本ではそんな訳にはいかない。
20キロ少々、40分程下道を走り移動。
高砂ふれあいの郷 生石研修センター 多目的ホール。
高砂はずいぶん前から祭り関係で数えきれないほど来ていたので、勝手知ったる何とやらで、私には身近な街だった。
会場に到着すると、若干怪しい動きをする男性が近づいて来た。話を聞くと地元の方で、勝谷さんのファンであると言う。その方に誘導して頂いて車で数分の日本三奇のひとつである「石の宝殿」(生石神社)へ参拝に行った。
「やつか」さんと言うお名前が刻まれた玉垣を見つけ、嬉々としている勝谷さん。しばしのリラックスタイム。
そうこうしていると、ずっと先の会場を押さえるために現地まで手続きに行っていたタイチさんが到着。
この会場も椅子はセルフだった。私も数々の会場で椅子の設営はもう慣れたもので、来場者の方々が多少なりとも居心地がいいようにと、広いこの会場では横の席は一定の間隔を空け、前後も半席分をずらして椅子を設置した。
講演会が始まるも、受け付け後部の片隅のコンセントの脇で、会場を押さえるため、資料とPC、スマホを駆使しながらタイチさんは独り闘っていた。
講演会はほぼ満席。来場者の熱が感じられ、最後の質問コーナーも鋭い、そして現状に対して怒りに満ちた質問が飛んで来た。
講演が終わり、お見送りをする勝谷さんに、昔どこかの祭礼でお見かけしたことのある方が大きな声をあげて迫って来た。頂いた名刺で思い出した。この地域ではかなり大きな商売をしておられる企業の会長であった。
言葉は荒っぽいが、熱い期待を勝谷さんによせて頂いていた。
この地域周辺では日本中でも最も熱い秋まつりが各地で行われる。
https://search.yahoo.co.jp/image/search?rkf=2&ei=UTF-8&gdr=1&p=%E6%92%AD%E5%B7%9E%E7%A7%8B%E7%A5%AD%E3%82%8A
この祭り関係の友人が数人来場してくれていた。例の如くバタバタしている私を見て「また電話するさかい!!」と、とっとと飲みに行ってしまった友人達を残念ながら見送って、そそくさと撤収。もうとっぷり日も暮れていた。
帰りの交通手段も危ういので、ガニーI田さん号に乗せて頂いて、勝谷さんと共に尼へ向かった。
尼の友人の家に泊めてもらうことになり、3人で立花駅前の飲み屋へ行った。
甲子園帰りのグループが「おお~~~!!勝谷さん!!」とさすが地元の方々の温かい反応になんだかほっこり力が抜けるようだった。考えてみればずっと周って来た中山間地域での反応は非常に冷ややかなものもあったので、私如きでもどこか緊張していたのだ。
虎キチのグループを店の外までお見送りしたが、それはそれは熱く!熱く!!私如きの手を固く握って頂いて「頑張ってよ!!ほんま!!みんなに言うとくし!!」と励まして頂いた。
その後3人で反省会と作戦会議、加えて問題点などを話し合い、盃が進むにつれ、とても書けない内容の話しの数々で盛り上がったのだった。