『LION ライオン 25年目のただいま』を観て少子化問題を考えるも、やりきれなさだけが

カミさんが借りてきた『LION ライオン 25年目のただいま』を観た。涙が止まらないのはよくあることなんだけど、その中のオーストラリア人で主人公の母となる女性(ニコール・キッドマン)のセリフに考えさせられた。

まずはあらすじ

インドで迷子になった5歳の少年が、25年後にGoogle Earthで故郷を探し出したという実話を、「スラムドッグ$ミリオネア」のデブ・パテル、「キャロル」のルーニー・マーラ、ニコール・キッドマンら豪華キャスト共演で映画化したヒューマンドラマ。1986年、インドのスラム街で暮らす5歳の少年サルーは、兄と仕事を探しにでかけた先で停車中の電車で眠り込んでしまい、家から遠く離れた大都市カルカッタ(コルカタ)まで来てしまう。そのまま迷子になったサルーは、やがて養子に出されオーストラリアで成長。25年後、友人のひとりから、Google Earthなら地球上のどこへでも行くことができると教えられたサルーは、おぼろげな記憶とGoogle Earthを頼りに、本当の母や兄が暮らす故郷を探しはじめる。

映画に関して書き出すと長くなってしまうので、その中の主人公サルーの育ての母親となるスー・ブライアリー(ニコール・キッドマン)のセリフだけ。「子どもはつくれたけど、つくらなかった」という理由が、「世の中には多くの不幸な子どもたちがいる。自分はその親になりたいと思った」というセリフを言うシーンがある。

毎年インドでは行方不明になる子は8万人以上いるという。かたや日本では少子化を止めることはできない。

だからといって、インドやストリートチルドレンの多い国から少しでも多くの子どもたちを日本に招き入れようとか、具体策のないきれいごとを並べてもどうにもならないけれど、少子化で年金制度が破綻し衰亡していく日本の中で、「恵方巻き大量廃棄」とかのニュースを見ると、やりきれない気持ちになる。

予告編

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