1995年の今日、地震が襲った

1995年の今日は阪神淡路大震災が発生した日である。
当時、大阪の実家を離れ、働いていた。
朝から実家と連絡が取れず、ようやく昼休みに電話が通じた。
幸い実家は北側にあった本棚が倒れ、ベッドに直撃しただけ。
しかし、この部屋は帰省した際、私が寝る部屋だったので…….
また、実家のある市内でも死者が出て、地震は断層に沿って強く伝わるものだと知った。

当日、父は東京出張であった。父に連絡すると「今日は帰る」と言う。
伊丹にある大阪国際空港は離発着ができたのだ。
ただ、交通機関が止まっていたため、空港まで弟が車で向かいに行ったのだが、帰宅するの普段の4倍以上の時間がかかったそうな。

祖父は宝塚に住んでいた。家の下、阪急電車沿線の家は倒壊し死者も出た。
祖父は寝ていたベッドごと部屋の中で動き回ったとのこと。
ライフラインが絶えたため、父と弟が祖父を運びだし、実家でしばらく住んでいた。

勝谷さんが兵庫県知事に立候補したのも、この時のトラウマがあるのだろう。
被害は地震による圧迫死だけでなく、その後の県の初期対応に多くの原因があったからかもしれない。
当時、前例のないものには対応が取れないと言われた官僚出身の知事であった。
その後、6年も勤めたのだから無責任なものである。

少子化で日本が滅亡する前に【水曜の朝、午前8時】
https://blog.voicejapan.jp/archives/5543.html
<そんな野田聖子さんは、「少子化が日本を滅ぼす」と25年間もの間主張してきたそうだ。><野田さんが強調していたのは、「少子化問題というと女性の問題として捉えられるが、これは男女共通の問題」ということだ。>
野田さんは高齢出産して、体の不自由なお子さんを育てている。
なんで、危険を冒して子供を産んだんだろうと思うこともあった。
政治家として少子化問題を取り上げるに当たり子供がいないということが、自分の主張に説得力を持たすことができないと考えたのだろうか。
ヨロンさんが記した『本気で国難として少子化問題に取り組む政治家を選びたい』は、日本という国が存続するための叫びではないか。

結果として25年間、無下にされていた少子化問題。
神頼みではなく、その場しのぎの対処法でもなく、具体案を訴える政治家を待つ。

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