不肖・スナイパー 倉敷突入記 vol.1

倉敷市真備町突入。

午前8時半。新倉敷駅到着。
北口を出るとすでに数人の社福協の職員がマイクロバスに誘導していた。
バスが満席になると即座に出発。

瓦礫を満載した自衛隊の大型トラックや給水車が引きも切らず走っている。
5分程走ってボランティアセンターとして使われている中国能開大到着。

拠点である体育館にはすでに200人ほどのボラさんが集結していた。
ところてん式!に、カバン・両腕にネームマーキング、着替え、受け付け、説明と流れ作業で次々と現場へ送り出される。
すし詰めの説明会場では、横並びに5脚、縦に10列の椅子が並べられていて、その塊が2組。
流れで座った椅子の横一列5脚の人々の中でリーダーとタイムキーパーをそれぞれ一名選び、「1チーム」として活動する。

約15分の説明を受け100人が押し出されて現場に向かう事になる。
私の座った列には男ばかり4人。
26才の関西弁を話す2人は、なんと私と「同郷」(笑) 明石と神戸西区出身で、出会って5分で「身内」(笑)となった。(笑)
あとの2人は共に19才!!!若い!!なんだか嬉しくなる。(涙)
一人は地元岡山の瀬戸内側から来てくれた地元の大学生。もう一人は昨日東京からやって来てくれた一橋大学の学生だった。

ボラセンから大型バスで、数か所あるサテライトセンターへ向かう。
バスに乗り込むとなんだか前の方でもめているようで一向に発車しない。聞けば満員で座れない!!などと言っているボラさんが騒いでいたので、「補助席空いとるやないかい!!」「とっとと座らんかいや!!」「みんなの貴重な活動時間を邪魔すんな!!」とイラチな口の悪い恥も外聞も無い関西のおっさんが叫んでいた。
一瞬フリーズした車内からは小さな拍手が沸き上がっていた。

道中の車窓からは東北で見て来たような光景が次々目に飛び込んで来る。
山津波、は引き波が無いだけで被害はそうは変わらない。

 

15分程走ると真備支所に設けられたサテライトセンターへ到着。

私達を殺すかのごとくのお天気!!の下、エゲツない細かい埃が舞っていた。車両が通るたび霧がかかったように目の前が黄土色に包まれる。

とにかく目が痛い。マスクをしていても鼻水が止まらない。そしてすさまじい「異臭」がもっとも難儀だった。
いわゆる「盆地」に広がる真備地域の中で最も海抜が低い土地が真備支所周辺である。
支所があると言う事は田舎の中の「繁華街」と言える地域であり、住宅や商店、倉庫や田畑が混在している。
と言う事は地域で最も「下水」が集まっていたと言う事になる。
その地域が、一軒家で言う所の2階の床上1.5mまで水に浸かった、と言う事は「肥溜めを薄めた泥水が2階まで浸水した」と言う事だ。

この臭いが・・・・・。たまらない・・・・・・。
例えるなら「ボットン便所にヘドロと灯油を流し込んだ・・・」みたいな臭いだろうか。。。

昼食に買っていた弁当は、半分も食べることは出来なかった。
まさに「のどを通らない」ほどのダメージを受けたのは、暑さに輪をかけた「臭い」だった。

到着してすぐにきづいたのは、サテライトセンターのスタッフのほとんどが、いかがわしい事甚だしい紺色のベストを着用していたことだった。私の中ではすさまじい違和感と嫌悪感を覚えたのだが、案の定!!!動きも対応も速度も遅い!!!
酷暑の中20分程待てど暮らせど指示が無い。
その割に「何もしていない!ボー~~!と立っている紺色ベスト連中の多いことよ!!」
その紺色のベストには「ピースボート緊急支援」とデカデカと書かれていた。

反吐が出る。

あと5分待たされたら「ブチッ!!」とキレてしまうやろうなぁ~~などと考えながら、私なりに「すさまじい自制」をしながら耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び、約35分の間、埃まみれの受け付けに立ち尽くすしかなかった。

ようやく活動先が決まり、徒歩で向かうことになった。
センターから徒歩5分。「T邸」へ到着。
先発部隊が1階で活動を始めていたので、我々は2階へ。
すさまじい泥と悪臭。
日常の家財道具、生活道具がすべて黒い泥で覆われている。
住宅再建などとてもではないが取り掛かれない。
まずは、今や「不用品、粗大ごみ」と化してしまった住民の方の「資産」を搬出し、掃除し、消毒しないとなにも始まらない。

家主のお父さんは御年80才。笑顔がまことにかわいらしいお父さんは、浸水の翌日3階の窓から自衛隊によってゴムボートで救出されたとのことだった。
この日片付けに来られていた娘さんとは3日間安否確認が出来ず、娘さん曰く「覚悟した」と仰っていた。

我々のチームに加え2チーム15人で手分けし、家財の搬出の後家主さんの確認をもらって、不要物を軽トラに積み込んでいく。
1車出来ると5分程走った先の「路肩」へ積み上げて行く。
回を重ねるうち見る見るうちにゴミの山が伸びて広がり「成長」して行く。


まさに「老若男女」泥と滝のような汗にまみれながら動いて行く。
私はあたかも老婆心の「老婆」のごとく20分置きくらいに「一服しょ!!」「水飲も!!」「日陰行こ!!」などと誰かれ構わず声を掛けていた。
それほどに誰もが真剣に、まさに一生懸命に動き続けていた。

うちのチームの若い衆なんぞ、若い元気があり余っているようで、さかいさんあっちも行きましょう!!お隣も困ってますぜ!!などと猪突猛進に走っていたが、「一応な、ボラセンを通してもらわにゃ勝手な事を現場でやったら後々揉め事になったり、責任問題になったりするからちょっと辛抱しようや」などとなだめるのに苦心するほどのパワーと心根を持っていた。
日本人特有なのか、それを奥ゆかしさと言うのか今の私には判断は出来ないが、彼らの言う「お隣さん宅」では、70代前半の家主さんとその娘さん、中学生と思しきお孫さんとたった3人で搬出、解体作業を続けていた。
私は「どんどんボランティア頼んだらよろしいやん」「家族で頑張り過ぎて後々体調を悪くする方々をどれほど見て来たか」などと説得し、少しだけではあるが解体と搬出を手伝わせてもらった。
脚立を借りて天井のシーリングライトを外していると、中に溜まっていた泥水をもろにかぶってしまった。天井からの水!!日常では経験しないので油断していた。(恥)

チーム交代で昼食を摂るも、食が進まない。が、最近のと言うか、倉敷の社福協の頑張りなのか心遣いなのか、経口補水液、ミネラルウォーター、お茶などをキンキンに冷えた状態で配ってくれる。加えて「命の結晶!!」たる「かき氷!!」が食べ放題!!さらに退職世代のおっちゃんおばちゃんがくまなく塩飴や梅干しを配ってくれる。スバラシイ!!こんなボラセン今まで見た事は無い。阪神淡路の頃からすればすさまじい成長を遂げている。ありがたい。

13時半頃、けたたましい轟音が響いて来たので空を見上げると、自衛隊のCH-47輸送機が4機編隊で真上を通過。
夜のローカルニュースによれば小野寺防衛大臣ご一行様が自衛隊への激励と現地視察に近くの施設へ降り立っていたようだ。

15時過ぎ、1~2階の不要物の搬出と泥掻きを終えた。
とは言え、とてもではないが生活できるような環境では無い。
これからは床、壁面の解体、泥出し、洗浄、消毒、乾燥、再建。と、ひと月やふた月では無理であろう過程を経ての住宅再建となる。
そんな住宅がこの地区だけで「数百件」はある。
それぞれの住宅にはそれぞれの歴史と営みが続いている。
まだまだ復興などとは程遠い道のりが続いて行く。

サテライトセンター本部へ活動報告。そして近隣の現状を伝え、明日からの活動に活かしてもらうよう強く要望する。

そこら中ナイロン袋で養生された大型バスに乗り込みボラセン本部へ戻る。
到着するなり高圧洗浄機で長靴などの洗浄と消毒を行う。
チームの体調確認と活動の問題点や気付いたことなどをまとめ、本部に報告後解散。
といっても、なんだか我がチーム5人どこか古い兄弟、親戚!みたいな感覚が芽生えていて(笑) 誰も帰ろうとしない。(笑)

私が撮った写真と若者たちが撮って呉れていた写真をアップしましたので現場の空気を少しでも感じて頂ければ幸いです。

明日もあるのでとり急ぎご報告まで。

帰り際。。。
私がボラセンで帰り支度をしていたら、40代前半と思しき女性が近づいて来て、一言。「投票しましたよ!」とささやいて去って行った。
しばらく天井を見続けることしか私にはできなかった。

 

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