連休最後の日、大塚英志著『感情化する社会』を読んだ。
目次は判るのだが、あとがきを含め、何を主張したいのか、さっぱりわからないのだ。
もちろん、私の読解力に問題があるかもしれない。
それにしれも、章立てに対して、まわりくどく書くのが、この人の批評家として文体なのか。
いろいろ引用をしているのだが、それがまた文章をややこしくしている。
要は、今は“感情化の社会”だと言いたいだけで、題名だけで中身がいらないやんと思う。
何故この本を図書館で借りたのだろう。半分も読んでいないが返却することにする。
メモとして目次を次に記載する、
第一部 感情化する社会
*第一章 感情天皇制論
**「お気持ち」によって直結する天皇と国民
**感情天皇制の起源としての玉音放送
**象徴天皇制の本質は感情労働である
**「猿としての日本」の再帰
**公共性に向かわない「感情」
**「感情」の外に立つ「批評」
*第二章 物語労働論 web上の「新しい労働問題」をめぐって
**ポストフォーディズム下の労働問題
**プラットフォームとフリーレイバー
**強制される感情の発露
第二部 感情化する文学
*第三章 スクールカースト文学論
**水平革命の揺り戻しとしての「スクールカースト」
**『セヴンティーン』はスクールカースト文学である
**ライトノベルはプラットフォームを懐疑できない
**「敗者の文学」の死
*第四章 LINEは文学を変えたか
**LINEが可視化する「文学」
**中上健次が生きた小説の終わり
**作者というアイコン
**「私語り」するAI
**「りんな」は太宰治である
*第五章 文学の口承化と見えない言文一致運動
**口承文芸化するweb文学
**Google人工知能の詩
**柳田國男のオーディエンス論
**webは言文一致を社会化できるか
*第六章 機能性文学論
**エコシステムのなかの「文学」
**作家は行動しない
**「火花」はこの国の外側では発光している
*第七章 教養小説と成長の不在
**教養小説を忌避した日本
**多崎つくるとヴィルヘルム・マイスターの遍歴
**国民的精神のビルドゥング
**歴史修正主義者と自己啓発書
*第八章 AI文学論
**「物語るAI」の可能性
**「小説ってこんな感じ?」
**AIがもたらす「編集者の死」
あとがき 歴史のシンギュラリティーに向けて