今朝のヨロンさん執筆の日記は大作である。
何文字書いてあったんだろう。
T-1さんの日記、楽しみだな。
そして、カツブロにひさびさの投稿。
カツブロの管理が VoiceJapan に役立っているとのこと。
それでは、勝谷さんの状態よりか、ヨロンさんの健康を案じなければならない。
ヨロンさんの政治的な姿勢を日記に書きずらいなら、ブログに書こう!
安倍内閣を批判しても、その受け皿がないことが不幸なことかな。
堤清二はネット社会の問題を予言していた
<企業や組織のトップが何をやってもいいのだという「無限責任」と、責任を取るべき時に責任を取らない「無責任」が共存していて、そこから脱却しない限り日本の組織はダメになるよ、という予見などが分かりやすい例でしょう。>
<この1年を振り返っても、安倍政権の周辺やスポーツ組織、大企業……堤清二が指摘したような問題が山ほど露呈していて、それがこの国全体に及んでいることは、流石に誰もが気がついているはずです。>
<堤清二くらいの世代は、憲法9条の中の平和主義が、GHQから押し付けられた思想ではなく、むしろ第一次世界大戦後の国際的な秩序の反映だったということを知っているはずです。>
<堤清二は「メディアは大衆の言うことをそのまま増幅していくだけ」、そして「大衆も知的な怠惰がある」、つまり反知性主義に対する危惧を遠回しに言っていました。>
引用が長くなった。
この記事は、日経BP社から出版された『セゾン 堤清二が見た未来』に関連して日経ビジネスオンラインで堤清二さんに関わった人たちへのインタビューである。
堤清二さんは父親の世代である。
あの世代はリベラルが多いのは、戦時下、小中学校に通ったためか。
堤清二さんは著作の中で今の社会を予言していたという。
彼は経営者として最後には失敗したが、倫理があった。
最近、耐震ダンパーのデーター改ざんが2社続けて明らかになった。
企業も政治家もマスコミも倫理がないものが少なくない。
どこかの時点から親も教師も倫理を示さず子供に接してきたからではないか。
これは、道徳に時間を増やせとか修身を復活させろではなく、倫理は倫理をもった人間が教えないと伝わらないのではないか、ということだ。
知識だけではなく、体に染み込ませないと。
全米初、スターバックスが聴覚障害者向け店舗をオープン 首都ワシントン
<【10月24日 AFP】米コーヒーチェーン大手スターバックス(Starbucks)は23日、米国では同社初となる聴覚障害者向けの「手話ストア」を首都ワシントンにオープンした。店員の多くは聴覚障害があり、全員が手話で客とコミュニケーションできる。>
<新店舗は世界で唯一すべてのカリキュラムが聴覚障害者向けに作られているギャローデット大学の近くに立地。スターバックスが2016年にマレーシアのクアラルンプールに開いた店舗がモデルとなっている。>
<スターバックスは、さまざまなコミュニティーを結びつけるのがこの店舗の目的だと説明する。同社をめぐっては今年4月、ペンシルベニア州フィラデルフィアの店舗で、友人を待っていただけの黒人男性客2人が逮捕される事件があり、人種差別だとして厳しく批判する声が上がった。>
全ての店で展開できる話ではない。
企業の姿勢をアピールするためには文書だけでなく実行することが重要。
ここでも企業倫理だ。
多様化する社会に対応するため、企業のみならず個人ができることを実行しなくてはならない。
まずは、ふれあうことから始めるか。
<今月20日の「ふじさわ江の島花火大会」の会場となった神奈川県藤沢市片瀬海岸西浜で、前回大会(2016年)の約3倍にあたる約1トンのゴミが翌21日に回収された。>
ゴミを処理できなければ、元を断つしかない。
飲食物持込み禁止だ。
もちろん会場での飲食物の販売も禁止。
ゲートを通して、入場退場前後の持込み物をチェック手もある。
そんなところへは行きたくない。
規制をすればするほど人間は堕落するのではないか。
マナー向上のため、別の手を考えないと。
ここでは個人の倫理が問われる。
日本看護協会のホームページに 倫理とはなにか について記載があった。
倫 理
倫理と聞くと、哲学的でとても難しいもの、というイメージを持っている人も多いことでしょう。
しかし、「倫理」の意味を正確に知れば、そのイメージは払拭されるのではないでしょうか。「倫理」とは、簡単に言うと、次のような意味を持っています。
つまり、社会生活を送る上での一般的な決まりごと、と捉えることができます。
ご参考まで。