浅草キッド

綾瀬はるかのコメディエンヌの才能を感じる「義母と娘のブルース」2022年SPは視ずに、Netflix独占公開の本作を視る。私は会員ではないが妻がNetflix会員だったので視ることが出来た。Netflixって儲かってるな。こんなクオリティのもの創っちゃえるんだから。

ビートたけしの同名小説の映画化。劇団ひとりは「青天の霹靂」で監督・脚本家としての力量を垣間みせていただけあって本作も悪くない。芸達者の柳楽優弥と大泉洋が2大主役をはってるんだからこれでダメなら相当ひどい才能だってこともある。

歌手を夢みるストリッパー役の門脇麦の演技力は認めていたが、キヨシ役のナイツ土屋が想定外の出色の出来。こりゃ役者でもやっていけるんじゃないか?

深見千三郎役の大泉洋の神がかった芝居。松村邦洋の指導よろしくビートたけしそのものになっている柳楽優弥。門脇麦の捨て鉢な演技などなど、役者の凄さ、演者の勝利が際立つ。

特筆すべきは、圧倒的なディテールの正確さだろう。浅草の街の路面の汚さ、劇場の壁やトイレの汚れ、片隅に置かれた電話の受話器の手垢、タップシューズに刻まれたシワの一つ一つが、「時代として70年代」を正確に再現している。また、これまでの「浅草キッド」映像化作品と違い、劇中に出てくる漫才やコントが、極めて正確なのだ。フランス座の楽屋のテレビで流れるWケンジの漫才は、よくまあこんな動画見つけてきたなと思うほど、間違いなく確かに、あの当時のWケンジの漫才だし、Wモアモアなど随所に挟まれる再現漫才もあの当時のままである。目を見張ったのは、テレビ初出演となり舞台袖で緊張しながら待機するツービートの前でコメワンが漫才しているというあのシーン。再現漫才、しかも姿の映らない再現漫才なのに、音と間が、完璧に、あの当時のコメワンの漫才なのだ。

劇団ひとりはこの作品で「70年代の日本」「漫才ブーム直前の演芸界」「あの頃のお笑い」を正確に再現することに努力している。その姿勢はもはや偏執的とさえ言えるほどだ。しかし、劇団ひとりには、その作業こそ、何より必要だったのだろう。

聞くところによると、劇団ひとりは、この作品の構想に8年の歳月をかけたという。2021年のクランクアップだから、2013年ごろから脚本と演出を温めてことになるのだろう。この間、現実世界のビートたけしには、さまざまな転変があった。そして何より、老いた。もはや、ビートたけしに、昔日の勢いはない。50年近く時代の最先端を走り続けていたはずのビートたけしは、今や、時代に追いつくことができなくなったかのように見える。その姿は、70年代冒頭、テレビの時代になっても劇場にこだわり、漫才の時代になってもコントにこだわり、時代から取り残されてしまったビートたけしの師匠・深見千三郎の70年代の姿に、重なってしまう。

それこそを、劇団ひとりは、描きたかったのだろう。劇団ひとりは偏執的にまで正確に「70年代の演芸界」を再現することで、「時代に追いつけない深見千三郎」を描くことに成功している。そして「時代に追いつけない深見千三郎」の描写が正確であればあるほど、その姿が、正確に、「今のビートたけし」に重なってくる。

Netflix版「浅草キッド」は、劇団ひとりによる、ビートたけしの弔いだ。
劇中のビートたけしによる深見千三郎の弔いが、弟子による師匠の弔いとして完璧であるように、この作品も、ビートたけしを師とも仰ぐ、劇団ひとりによる、完璧な「芸人の葬式」だ。

これほどまで映画として完璧な映画を作り上げ、芸人の葬式として完璧な葬式を挙げ得たことを、劇団ひとりは、こう語るに違いない。

「師匠に鍛えられたんで」

と。

深見千三郎は本当にタバコの火の不始末で焼死していた。たけしのオールナイトニッポンでも師匠の深見は話に出ていたっけ。あと2カ月弱で60歳になる前の59歳で亡くなっている。この人なくしてビートたけしはなかっただろう。

Netflixは侮れない。民放もNHKも自前でドラマなんか創らずにNetflixに創らせてそれを買えばいい。

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